博士の愛した数式

 

                              

 

最近、小川洋子氏作の「博士の愛した数式」を読みました。

 変わった小説ですね。奇抜とも言えますね。まずタイトルが「博士の愛した数式」 。売らんがための奇妙なタイトルを出版社が付けただけで、中味は数学と殆ど関係ないのではないかと勝手に思い込んでいました。しかしこれが誤解であったと、読んでみてわかりました。数学というものを真正面に取り上げているとともに、 数学以外の部分は少々変わっているところはあるのですけど、十分にあり得る内容だということがとても不思議に思えます。その両者が単なる組み合わせで終わっているのでなく見事に融合していて、それが素晴らしです。思いついた小川洋子は(いい意味で)変わった、あるいは天才的な小説家ですね。誰もがなしえなかったこと(少なくとも日本では)をこともなげに小説に仕上げたというのですから。僕は女性の小説家は 、男女間あるいは女性同士の愛憎や、あるいはお金に係わること、それに伴う殺人事件についての小説、あるいはまた歴史小説を書くことが多いのではと、わけもなく思い込んでいたからです。たとえば私の知る限り 、女性作家のSF小説とかは殆どいないのではないかと思いますけれど。

実は「博士の愛した数式」を読まなかった理由はそのタイトル のせいだけではありません。 小川洋子は 、「博士が愛した数式」(2005年発刊)を書く以前に、芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」(1990年)を書いたことを知っていたからでもあります。そのおよその内容は本の広告とか書評で紹介されているのを読んで知っていました。妊娠した姉に 妹が毒(ポストハーベストつまり農薬)が含まれてるかも知れぬアメリカ産の「グレープフルーツ」でジャムを作って毎朝食べさせるというちょっと腰の引けるようなことが描かれているということでした。

 

僕は高校・大学では数学は嫌いでした。特に大学では数学の単位はようやくお情けで頂けたという落ちこぼれ寸前の程度で、今でも大学を卒業できないという事態に陥る夢を見るくらいです。 

でもおかしなもので数学は過去のそういう成績とは関係なく好きでした。会社を辞める前には退職したら、もし可能ならば大学に通って数学を習いなおそうという「壮大」(笑)な、かつ大それた夢を持っていたぐらいです。けれども体を 壊してしまったのでその夢は頓挫しましたが ・・・。

数学もいろいろ分野がありますけど、この小説では素数についての話が多いようです。僕も幾何学(図形)よりは代数学の方がやや面白いかな?(わからないくせに(笑))。

小説にはいろいろな数学用語、数式が現れてきます。例えば、

ルート、双子素数、三角数、友愛数、完全数、フェルマーの定理
それとオイラーの公式

     eπi+1=0
などなど。

そして小説の形はくずさずに、それぞれの専門的な説明・解説が上手に付けられていて、単なるタイトルだけではないという内容です。 

主人公の博士は数学の天才ですが、しかし交通事故に遭ったせいで今では記憶が80分しかもたないという設定です。だから女主人公の家政婦は毎朝博士に自己紹介をしなければなりません。いま認知症 はTVなどでもかなり取り上げられていますから今の時代性も備えているようです。家政婦には男の子がいて、博士と仲良くなり「ルート」というあだなを付けてもらいます。

さて読んでいてちょっと細かいことですけど、奇妙かなと思ったことを書きます。
下の式はオイラーの公式

eπi+1=0

です。これは小説では

«eπi+1=0»

というように左右に  «   »  の特殊なカッコを付けています。

数学ではいくら重要な式であったとしてもこのような記号をつけることはないように思います。

他の場面でもフェルマーの定理の式に

«Xn+Yn=Zn»

というふうに表現していますが、数学者がこのようなカッコの記号  «   » を使うのかどうかという疑問です。 小説だから厳密に数学の表現にならう必要は無いと言えばそうですけど。

 

もっと細かいことを言えばオイラーの公式 eπi+1=0 πi ではなくて虚数単位のi が先で iπ のほうが普通ではないかということです(もちろん僕がその数学的意味を詳しく知っているのではなく今回ネットで検索した結果を見て言っているだけのことですけど)。

たとえば、ネットで見つけた別の例では

 eix=cosx+isinx

です。i と x の順序が xi ではなくて ix となっています。

内容で少し気になる点をもうひとつ。タイトル「博士が愛した数式」のその「数式」自体なんであるか、が書かれていないのです。一つの特定の数式を愛したのならそれが具体的に示されてないとおかしい し、いくつかあるのならそれもどういう数式なのかも説明が欲しいところです。タイトルは小川氏が付けたのか新潮社の編集部が付けたのかどっちでしょうか。

 すこし細かいことも述べましたが全体としてはとても面白い展開で、しかも日本人の作家が細 やかな心理を書いた私小説とは違って、むしろ無機質的な表現内容であることにとても意外でした。しかし直接的には書かれていませんが、家政婦がこの天才数学者に好意を抱いたことはわかりますし、家政婦の子供も登場して3人のまるで本当の家族のような生活が、読者に温かみを与えているようで す。いい小説だなぁと思いました。

 

今回「博士が愛した数式」を読んでから、小川洋子が書いた本はどんなものがあるかが知りたくて、まだ読んでなかった「妊娠カレンダ」と「ドミトリイ」を読みました。この2作は「博士が愛した数式」とはやはり違っていて、奇妙なそしておどろおどろしいけれど 、それを直接的に描くのではなく、たくみに隠しながら、読者はその奇妙なおどろおどろしい事を想像してしまうという描き方のように思います。僕としては読むまでもなかったという小説でした。 直接的に描かないというのが小川洋子の小説のひとつの特徴かもしれません。

(なお小川洋子は今日(3月2日)の新聞広告によると今回の芥川賞の「乳と卵」の選考委員になっているのですね。 またこの「博士が愛した数式」は2006年に映画化されています。)

 

     以上は2008年3月2日に書いてあったものを一部手直しして今回(2009年2月25日)
     アップしました。

 

 

追記

「博士が愛した数式」がどの数式を指しているのかがわからなかったのですが、実は、オイラーの公式
     «eπi+1=0»

ではないかと気が付きました。小説の内容から推察できます。僕は鈍感ですねぇ。

けれども実際に博士が愛したのは義姉です。このオイラーの公式は二人の愛を象徴するものとして使われているようです。

そして最近買った本、小川洋子のエッセイ集「犬の尻尾を撫でながら」の中では、

     小説の博士が愛したのは、オイラーの公式、
     
eπi+1=0

と書かれています(なお、このエッセイ集ではカッコの«»が使われていません)

また、この式を小川洋子は「オイラーの公式」と書いていますが、ウィキペディア等では「オイラーの等式」と書いてありました。 オイラーの公式は

      eiθ=cosθ+isinθ

であって、θ=π の場合にオイラーの等式となるとあります。

上掲の去年の3月に書いた感想では江夏投手のことに僕は触れていませんが、この本の主役が数学とすれば、脇役が野球(特に江夏投手)となっています。 江夏はすごい投手でしたねぇ。小川洋子がもともと江夏ファンだったのか、この小説のために江夏のことを調べたのかどちらなのかがわかりませんでした。なんとなく後者のような気がしてました。ところが、エッセイ集「犬の尻尾を撫でながら」の中で子供のころからの熱烈な(?)タイガースファンであることを知り、「なるほどぉ〜」でした。

小説では、家政婦は博士が江夏のファンだったことを知り、そして博士が集めた野球カードを子供と一緒に整理しているうちに一枚の写真を見つけます。博士と義姉が写っている写真です。小川洋子はさりげなく(小川洋子の小説の特徴)このことを書いていながら実は重要な事であることを読者 は 知らされるのです。

 

なお映画「博士の愛した数式」は去年レンタルのDVDを借りて見ました。その感想はまた別に書きたいと思 っています。

            この追記は2009年2月25日に書きました。

 
 

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