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公園で見た素敵なコト/その1






公園で見つけた素敵なコト/その1は、06/7/9から06/12/末日を予定。                     

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公園で行なわれた金魚すくいイベント。
子どもたちも多いが、お年寄りも多く参加していた。昔が懐かしいのだろう。
子どもたちのお父さんお母さんも多い。しかしみんな下手だ。やはり「金魚すくい」はめずらしい楽しみになって久しいのだろう。   

               07/7/22



 鯉のぼり。
 公園で泳ぐ鯉のぼりはみんなが楽しめて良い。しかし見上げている人はほとんどいない。鯉のぼりより給料ベースアップの方に皆、興味と生活がかかっている。私だってそうだ。

                07/5/1


 砂場に赤い花が「植えられ」ていた。花を植える行為は人としての成長だろう。花を摘んだりしないようにと制止板には記されているが、子どもの成長から考えると許される部分は十分にあると私は考えている。

               07/4/25


 水飲みは子どもたちの悪戯によく利用される。暖かくなると水が恋しくなり、水遊びの標的になる。酷く汚されることもある。大人が公園の水を盗んで自分のオンポロ車を洗車するのはもってのほかだ。
 真冬、水飲みの「飲む蛇口」から「氷柱」「氷花」と思えるような素敵な造形が出来ているのを見たことがある。
 しかし、写真の「花瓶」は始めて見た。


            07/4/11

 
 写真に写っている子どもたちは何をしているのだろうか。
 黄葉(こうよう)したイチョウの木から風に乗って落ちてくる葉を空中でキャッチする遊びをしている。
 今日は風があるので、子どもたちは右往左往する。そして運良く地上すれすれでキャッチする子もいれば、仲間に「アウト」と宣告され、葉を泣く泣く捨てる子もいる。また、他の子に取られて悔しがり、地べたにつもった落ち葉を足で蹴り上げる男の子もいる。
 女の子も元気に混じる。10人弱の子どもたちは手に手に空中キャッチしたイチョウの葉を何枚も持っていた。
 やっている子どもたちも楽しいのだろうが、見ている私も面白い。


           06/12/10


 何らかの理由で切り倒されたのか、それとも幹が腐ってしまったのか。その「切り株」のような場所を石と木片で補強し、そこに土を乗せ、植物が植えている。花の少なくなったこの季節でも、いろいろきれいな花々が咲いている。
 どなたかが優しく管理しておられるのだろう。何でも新しく、なんでも公園管理者に「あれが欲しい、これが欲しい」と要求するばかりの「善人」は、こうした素敵な花壇を見習ってほしい。そして人を見習うべきだ。
 ほんとうに素敵な、優しさに満ちた「花壇」である。

               06/11/2

 
 少し前の10月17日のこと。
 豊島区立西池袋第二公園でのこと。ここには今を盛りと完熟するムクノキの実が鈴なりとなっている。何でも流行りごとに夢中となる若者や小父さん小母さんは知らないかもしれないが、この実こそ、少し前の人々は秋の味覚の代表と言っていた。小さい実だが、それほど甘くておいしい。
 しかし、今日ここでお話しするのはムクノキの実ではない。ネムノキである。
 園内にネムノキの木がある。木としては特徴に乏しいと一般には見られている。しかし7月あたりに満開となる花は異様に美しい。この世のものとは思えない姿をしている。私は12月生まれだが、死ぬのはネムノキの花が咲く季節と決めている。会葬者には暑い季節で申し訳ないが、公園バカの我がままとお許し頂きたい。友達の少ない者としては10人も集まってくれれば死にがいもある。
 頭がバカになりつつあるのか、この木の名前を時々忘れる。そのたびに公園調査シートには「宮城まり子」と記す。素敵な女優さんだった宮城まり子さんは「ねむのき学園」をつくり、現在も頑張っておられる。尊敬している。
 ユーカリの名も忘れやすい。そのときは「コアラの木」と書く。他にもそうした木が何種類かある。私の木の知識は全て公園で覚えた。
 そのネムノキの花が10月17日に一輪だけ、ここで咲いていた。3ヶ月以上遅れて(早まって?)咲いた一輪に、急いで自販機で買い求めたコーラで乾杯をした。頑張った頑張ったと心の中で拍手もした。
 季節が異常なのか、それとも私の頭が狂っているのかは興味がない。
                                      撮影日:06/10/17 記載日:06/11/01

 
 秋の最高の一日、公園でのバーベキューは楽しい。家族でも友達とでも楽しさいっぱい。以前ほど、焼肉のたれが充満する光景はなくなった。
 公園にバーベキュー施設(広場やコーナー含む)を設置する意味合いはいろいろある。しかし、私のように下品な理屈を捏ねまわす者には、とある深層が見え隠れする。それは「社会としてのコミュニティ復活」を願っていることだ。
 中小公園はコミュニティ施設だ。はっはり言って、それしか公園が生き延びる道はない。その一つのアイテムがバーベキュー施設。当然ほかの要素もいっぱい含まれている。しかし「楽しい」がもたらす効果は社会としてのコミュニティを皮膚感覚で感じ取れる。
 公園のジャブジャブ施設やお花見も、実はコミュニティとしての役割無しには考えられないのである。
 私は友達が少ないので、ここ20年ぐらいバーベキューを楽しんでいない。いつもみんなの楽しそうな風景を、すかすかのカレーパンや、どこにでも売っているおにぎりを齧りながら公園データを取りつつ、とぼとぼと次の公園に向かう。慣れてくると、これもあんがい楽しい。
                                                      06/10/14 

 
 赤トンボ。
 トンボを身近で見ると気持悪いと言う人がいる。しかし大空を舞っているのが嫌いな人は少ないだろう。
 この季節、赤トンボは東京のどこにでもいる。公園の上空にもいっぱいいる。やぶ蚊もどこにでもいるが、その違いは大きい。何年か前、電車の中に赤トンボが入ってきた話しが雑誌に記されていた。
 赤トンボはわりあい度胸がいいのか、人のまわりにやって来る。だから子どもでも捕まえられる。私が子どものころは、その赤トンボはだいたい八つ裂きにした。友達の金ちゃんは「南無阿弥陀仏」と叫んでから、やっぱり八つ裂きにした。二人でそうしながら「東京には何匹ぐらいの赤トンボがいるんだろう。千匹か、五千匹か、一万匹か」と話して、「いっぱいいるから怖い」とまた赤トンボ八つ裂きに励んだ。金ちゃんも私も一万円札など見たことがなかった。
 赤トンボが今でも一万円札に見えるのはそのためだろうか。
 仲良しだった金ちゃんはずっと前に、とある事情で亡くなっている。

                                            06/10/11

 
 盆栽である。
 通常、公園に盆栽はない。利用者のほんとうに少ない、住宅地にある粗末で小さな「公園」では、近隣の住民が「公園「を自分の敷地のように使っている場所で僅かに見るだけ。
 写真の盆栽がスタンド式灰皿の上に置かれていた。きれいな花だか、その名は分からない。午後になると、にぎやかな子どもたちもやって来るが、今は自転車で来たと思われるおっちゃん二人がいるだけ。この二人のうち、どちらかが持ってきたのだろう。
 公園にあるはずの無い盆栽が一つあるだけで、園内が楽しくなるのだから不思議だ。公園管理者はこうした現実を理解しているのだろうか。
                                                       06/9/20


 この鉄棒を見てオヨヨと感じる人は公園遊具に精通している。 
 子どもたちがよく利用している鉄棒は3間(2間もある)が多いが、この鉄棒は5間である。しかし5間がすこぶるめずらしいのではない。
 通常の鉄棒は3間であれ、2間であれ、背の高い子どもから低い子どもまでが一緒に楽しめるように1間ごとに高さを調節している。なのにこの5間鉄棒は全てが同じ高さになっている。これにはきちんとした理由がある。
 高齢者やリハビリ中の方々が運動機能の回復を目指して利用する鉄棒なのである。日本ではこうした病院以外での運動機能の回復を目指した「遊具」の開発が非常に遅れている。いや、ほとんど無いと言っても過言ではない。
 この鉄棒も走り回って遊ぶ小さな遊具公園に端に、おまけのようにして設置されている。
 これから私たちが体験する更なる高齢化社会や医療費の増大と向かい合うとき、公園で高齢者やリハビリ中の方々が運動機能の回復を目指せる「遊具」の開発は緊急を要する問題の一つである。
 また、そうした機能を充実させた公園の設置も都市部では既に必要な時期に入っている。


                                            06/9/15

 
 公園の水田も稲穂が垂れてきた。この季節になると案山子(かかし)が登場する。いろいろなクループや子どもたちが協力してつくる案山子はどれ素敵で面白い。
 中小公園が市民社会で正しく息づいていく手段は、コミュニティとしての機能を発揮できるかどうかにかかっている。観光資源や教育施設としての手法では断じて楽しくて素敵な公園をつくりだすことはできない。愛されることもない。そんな時代遅れの考えは捨て去らないといけない。
 みんながしたいこと、みんなが必要とすること、みんなが考えたことを、楽しく差別無く楽しめる方法をみんなで少しずつやっていくことが楽しい公園づくりだ。コミュニティはスローフードの代表格である。
 そうしたことで考えるなら、水田でのお米づくりはみんなが楽しめる。ジジイーの私だが、「ご飯はあきた」と言う日本人に今まで一人も会ったことはない。
たぶん、会わないで死んでいけるだろう。嬉しいことだ、これは。
 こういたことが「お米づくり」以外にもいろいろあると、公園遊びはもっともっと楽しくなる。死んだような目をして園内をうろつく若者も爺さんもいなくなる。

                                                            06/8/30

 
 若い頃から「人ごみ」が好きではない。
 そうしたこともあるのか、イベントやお祭りも苦手だ。ジジイーになった今でも、自ら進んでそうした場所に行くことは決してない。
 夏休みに各地の中小公園で、地域の人々による「盆踊り」(名称しいろいろ)が行なわれた。これからの季節、「秋祭り」もある。
 公園調査は朝早くから行なうので、夕方前には完璧なまでに疲れてしまい、日が落ちるまで調査を続けることはない。だから、お祭りが最高潮に達している様子を見ることもない。しかし、その分、お祭り当日の熱気が十分過ぎるほど残っている朝の公園を見ることは多い。当日、主役の一人だったような町会役員と思われる爺さんたちが二人、三人と集まり、最初のうちは昨夜の楽しさなどを雄弁に喋ったりしているが、そのうちみんな、派手に飾り付けられた櫓などをぼんやり見上げて黙ってしまう。
 そうしたところへ、やはり昨夜の熱気に浮かれたままの小さな男の兄弟などが現れて「今日も続きがしたい」と園内を走り回る。
 爺さんの一人がのっそり立ち上がると、ベンチの下に落ちていたゴミを拾ったりするが、ゴミ箱が撤去されている公園では捨てる場所がない。しかし、お祭りために設置された臨時のゴミ箱があっちにあるので、そっちへとぼとぼと向かう。他の爺さんがぽつりと言う。「ゴミが少なくなった」と。
 こうした風景が好きだ。祭りの後の風景には複雑な匂いがある。子どもたちが喜んだ匂い、若者の熱気、恋と恋愛の香り、爺さん婆さんのシワの臭い、屋台で売られていた食べ物の入り混じった匂い、幼子が泣き叫んだ匂い、どこからともなく漂うオシッコのにおいなどが充満している。くそ暑い夏の夜がもたらした「夢のかけら」なのだろう。
 私はそうした「かけら」が朝になっても充満する祭りの終わった公園が嫌いではない。
 2枚の写真は別々の公園です。

                                                      06/8/28 

 
 公園情報センターのコンテンツの一つに「魚釣り公園情報」があります。
 東京23区及び東京市町部の「公園」やその界隈で魚釣り(無料/有料含む)が楽しめる場所をご紹介している。一部、写真が添付されていなかったり、情報がぬけていたりしますが、順次整えます。
 「魚釣り公園情報」のページビューが多い。
 「海釣り公園」などのように大物の鯛やヒラメが釣れることのない、日常的な
釣りが楽しめる場所を中心として掲載するページなので、アクセスログを調べる度に驚く。
 魚釣りコーナーにはいろいろなタイプがあるので、釣れる「魚」もいろいろです。
 小さな子どもたち楽しめるザリガニコーナーや金魚、釣りの引きが魅力のヘラブナ、また大型の鯉、そして美味しく食べられていっぱい釣れるハゼ、更にはスズキ、カレイ、テナガエビ、エイ、ウナギまでが場所と運によっては釣れる(らしい)。
 私も子どもの頃、近所の見次公園で毎日のようにクチボソやフナを釣って遊んだ。その頃、仲良くなった小父さんやお爺ちゃんはみんな死んじゃっただろう。今は私もそうしたおっさんになった。
                                            
                                                        06/8/7

 
 東京も真夏本番となる。公園の夏も真っ盛り。今年の公園はいろいろな種類のセミがいっぺんに鳴いているのでちょっと不思議で楽しい。
 公園の子ども用水遊びジャブジャブ施設も人気/不人気とわかれていて不思議だ。私など、どれも個性的で面白そうだと感じるが、親子によってはいろいろ選択の幅があるのだろう。
 私が困るのはただひとつ、蚊が多いジャブジャブ施設である。

 東京都江東区辰巳に都立辰巳の森海浜公園がある。ここのジャブジャブ施設はミスト状の噴水があり、ユニークで、とても楽しい。しかし利用者はそれほど多くなく穴場である。今、人気のエリアでもある豊洲地区の高級マンションなどにお住まいの、小さな子どもたちをかかえるみなさんは、ぜひご利用になってみてはいかがでしょうか。
                                           

                                                                                                06/8/2

 
 公園は「憩いと安らぎの場所」と言われる。決して間違ってはいないが、100点満点で10点がいいところだ。お偉い人の付ける点数は知らないが、私の試験では落第。まして都市公園法などを持ち出したら尻を蹴とばす。
 では、公園とは何だ。しかし、公園が自分にとって何であろうが、多くの人々は利用したいように利用しているので、何の問題もない。悩んだり考え込んだりすることもない。悩みは他に山ほどある。私だって脳が狂わんばかりの悩みごとをもつ。

 しかし、人によっては「公園とは何だ」を知りたがる。バカの一つ覚えのように「公園調査」を繰り返している私に、執拗に聞いてくる人々が後を絶たない。だから私は言う。「公園に行って、行って、行って…飽きるほど行って、そしてまた行って、ベンチに座って人を見ていなさい。ちゃんと人を見ていれば、自分の言葉がフッと出てくる。園内の施設など、どうでもいい。」と。それが100点満点のあなたの答えだ。でも、誰もそんなことはしないだろう。
 自分の言葉を見つければ、公園をもっと好きになる。
 添付写真は今日の「お話」とは何ら関係ない。
                                                                                              06/7/23


 長くて大きな高架橋下の親水公園にパターゴルフ場がある。利用は無料だが、ちゃんと管理事務所があり、管理人もいる。
 常々、思うことだが、公園に設置されているスポ
ーツ施設は、その利用料金が高すぎる。そして無料でもかまわないようなスポーツ施設も有料になっていたりする。
 公園への指定管理者導入によって、各種スポーツの有料制度は更に確固たるものになりつつある。こうした傾向は早急に見直すべきである。
 そうしたことに比べると、このパターゴルフ場の無料は見上げたものだ。私は利用しないが、感謝状を差し上げたい。

                                                       06/7/16


 私のように身寄りも友達も少ないオッサンは、子どもたちの描く絵を見る機会がほとんどない。
 絵は描くのも見るのも楽しい。
 公園では小父ちゃん小母ちゃんたちがよく写生をしている。
 公園には名称こそいろいろだが、「護岸ギャラリー」などと称して、子どもたち(大人を含むこともある)の絵がいろいろな壁面に描かれていたりする。不思議な絵もあって楽しい。
 「私にはこうした絵は描けないなぁー」などと見とれてしまう。今、岡本太郎氏の大きな絵が話題を呼んでいるが、私は色の剥げたこっちの絵の方が何倍も楽しい。公園調査などしないで、子どもたちの絵をずっと見ていたい気がする。

                                                       06/7/14

 

 東京都多摩市の公園で7/8に見つけた「七夕飾り」です。
 公園や空き地・道端などでよく見かける背の高い雑草に願いと祈りを込めた短冊を飾った「七夕飾り」がそこにあった。決して目立つような場所ではない。
 きれいな短冊の一つに、このようなことが書かれていた。
 「せめて俺の目の前の人達が幸せになれますように」と。

                                   06/7/9

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