★ぎっちょの日誌★


※ 親父2、親父3は我が家の次女と三女に
私がつけたあざなです
生き様が男性の如くだからです

平成30年2月8日

巡る巡るよ

赤い靴号Cルートの一つ目のバス停
馬車道駅前は今、大きなビルの建設中である
みなとみらいは3か所ばかり新しいビル建設工事中
横浜が又様変わりする
汽車道の向かい側にもホテルのような
大きなレストランのような建物が出来たねぇ
オリンピックに向けてか
江の島も横浜も・・時代が流れる
年々再々花開き
再々年々人同じからず
こんな詩文が心に沁みる年になった

以前にも同じ事を書いた事があるが
夫がいた33年前は本牧はまだ米軍の接収地で
就業者以外の日本人は近づけず
みなとみらいの夜もまだ大きな三菱ドックで
仄かな灯りがあった程度
伊勢佐木町と元町が横浜の名所だった
元町はまだそれなりに賑わい
一品物しか置かなかった昔の元町に戻りつつある感じ
通りの建物が何店舗が新ビルに建て替わり
よりお洒落に変貌しつつある

だが、伊勢佐木町はパチンコ屋さんと
会員制の馬券売り場ビルや有隣堂が
やっと人を集めている程度で寂れた感を否めない
松屋がなくなり、松坂屋が撤退
東急桜木町駅がなくなり
ショックをうけたのは何年前?
みなとみらい線なる第3セクターのみなとみらい線が
中華街や元町に繋がり
東京から横浜がより近くはなった
赤煉瓦倉庫が荒れるに任せていたのを
補修、店舗として復活させ
人の集まる中心は
完全にみなとみらいに移行した
今の横浜がこんなに変わるなんてねぇ

デートで良く見た三本立ての映画
馬車道の東宝会館も横丁の台湾ラーメン屋さんも
東宝会館前の喫茶ジローも無い?
有隣ファボリは一体どこへ行ったの?
ジローはいつもイヴェット・ジローの曲が流れ
音楽喫茶「田園」はヴェートーベンの田園が流れてた
昭和は時がゆっくり流れていた気がする
30年強でがらりと変わった横浜
オリンピックで又変わるよね
「我が身世に古る長雨せしまに」なんて
そんな優雅な人生じゃござりませなんだけれど
眺める間もなくいつの間にか横浜が変わった
うん、東京駅も大きな変遷を遂げたそうな
行ってこなくっちゃ!
何しろそろそろ総括して、あの世で夫に
報告してやらにゃぁならんしなぁ
でもこの酷い物忘れじゃ
総括しても報告の時は
ほら、あれ、そのって代名詞ばっかり
みんな、この年が来て感じるのさ
親父達が私の年になった時
横浜は、東京は、日本は
どんな変貌を遂げているのかな?

それよりもあの世では
冥土の入口で
もう誰も迎えに来んかも知れん!
長生きして今頃来る奴がいるもんか!
って見限られてるやも
巡る巡るよ、時代は巡る
でも生きるのさ!精一杯老いたなりの
楽しみ見つけて!
ごめんなすって、御免なすって!

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平成30年1月23日

大雪が降った

 昨日昼頃から降り始めた雪は
日が変わる頃まで吹雪となって辺り一面を真っ白に染めた
阿呆だなぁと思うけれど
積もり始めると、翌日の雪かきの大変さも忘れて
ちょっぴりわくわくしたりして?
生涯の内90%は関東暮らしで
子供の頃の雪合戦の思い出もないなぁ
後ろから雪の球投げられて「キャー」なんて
逃げて見たかったなぁと思う
子供達が小さい頃、一度雪投げした事あったっけ?

 ドイツ語が出来た父が39歳にして軍属で招集を受け
報道員として任地に赴く途中のマニラ沖で
船(鎌倉丸・元名:秩父丸)が魚雷に触れ沈没
千人以上の乗船者で助かったのは
甲板員の方が少しで、泳ぎの得意な父も戦死
戦火も激しくなったので東京の住まいを離れて
弟と私、姉達二人を連れて、母の里西宮に移転した
結局東京を離れた事で
8月6日の関西大空襲にあう結果となった
まさに九死に一生を得たあの日
星の如く落ちてくる焼夷弾の中、久寿川の橋の下に
背伸びして首までつかって
橋の下にも黄燐焼夷弾が落ちて来る
大人たちが防空頭巾で叩いて消すのである
あの時一度死んだ命ではあった
川の水をたらふく飲んだ

それでも何とか乗り越えた命
もうほんの少し早い終戦だったら
私の人生どんなだっただろう?
夫と巡り合う事もなく、今の子供達にも会えず
違った人生歩いてたんだろうな!
と思う時
否、これで良かったんだと思う
縁(えにし)少ないたった22年間の結婚生活
幸せで埋め尽くされていた訳ではなかったけれど
妻として仕事の相棒として精一杯務めたと思う
3人の子供にも恵まれた
プロポーズの時の言葉「僕のベターハーフになってくれ」
と言った夫の言葉はちょっとキザだったが
半分に近づくべく頑張ったさぁ
少しずつ少しずつ手を出したつもりが
結局、中途退職は無く 
給料は事務員さんの半分でも
仕事量は事務員さんの倍以上残業無茶ありの
専従者と言う名の便利事務員となっちまったのでありまする

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平成30年1月8日

学習能力なし

ったくねぇ、困った奴です
痛み止め飲まないと出かけられない程、膝突っ張ってる
なのに、なのにである
どうしても出かけたいのだ
飛鳥Uに久しぶりに会いたい!
今回は海外の航路で暫く帰って来ないもん
5時出港かぁ、雨の中の出航、しかも薄暮、いいなぁ!
空は雪空、ちょっぴり薄日がさす時もある
2時、雨が降り出した
急いで洗濯物取り込んで
う〜ん!本降りの雨になったなぁ
半分は諦めてTVの前
久しぶりでキムタクが出てるドラマやってるなぁ
奥さん役の女優さんは上戸彩、綺麗だ!
この人も年を取りおばあさんになる時が来るんだぁ
でもなぁ、美人さんは年とっても面影残るのよねぇ〜
私のような中途半端はどうにもならん
せめて気合入れて元気が取り柄で生きるさ!
って、つい3、4年前まで思ってた

そうは問屋が卸さない
両膝人工、左目見えない、左耳聴こえない
左足は50代の時の医療ミスで足首下神経麻痺
それが、今は両足の痺れと痛みが加わったもんだ
腰は脊椎管狭窄症でリュック背負えなくなった
まさに満身創痍
でも性格はそう簡単に変わらないのであります

家の中歩くのもトロトロ歩き
膝が突っ張って前につんのめりそう
お風呂上って蓋しめる時
いつも思う事、かなり俯いて蓋締めるので
頭から風呂の中に落っこちるんじゃないか
嫌だ!そんな死に方したくない
昨日も風呂洗って、ふと思いついた
そうだ、頭から落ちたらまず栓を抜けばいいんだ
ほっ!よしっ!これで悩み一つ解決!

さてさて、又話は横道にそれた
うん、いつもの事だけどさ
雨降ってるねぇ、でも行くのさ
痛み止めのロキソニンと胃薬も飲んだ
5時出港だから4時半につけばいいのさ!
3時50分出発、根岸行のバスギリギリ間に合った
桜木町下車、北口へ出てCルートの赤い靴号
4時35分着、予定通り
でも雨一杯降ってる
でも、何とか撮るさぁ

晴れの日の5時はまだとっぷり暮れるとはいかないが
今日はすでに薄暮状態
飛鳥Uの灯りが美しく海面に映えてる
寒い!万全の防備で来たけれど
出航時は2,3人カメラ構えてる人居たのに
飛鳥Uが方向転換する頃は私一人
今日は財布の中かなり入ってるしなぁ
私が襲われる事はないけれど、財布は危ない!
ベイブリッジ潜る情景はいいや!
雨もやまず、バス停に直行
赤いバス号往復で440円撮られたもんなぁ
帰りは地下鉄で上大岡へ出て只で帰ろう
5時20分のバス、タッチの差で逃しちゃった
いつものド・トールのアメリカン・コーヒー
私の幸せタイム30分
さて、さて、薄暮の中の飛鳥U、ピント大丈夫かな?

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平成29年10月2日


ほぼ良好

ご存知の方も多いが
昨年6月10日
両膝人工関節換置手術を受けた
二人の先生で片足ずつ3時間程で両足同時手術
同日と言うのは余り例が無いらしいが
2度覚悟を決めるのは嫌
術後、看護婦さん曰く
「勇気あるね、私絶対ダメだわ」
術後20日で退院、最短だそうである
5,6年前の元気に比べれば
落ちた体力ではあるが
思ってたより随分元気になりました
ご心配頂いた皆様、ありがとう
ご報告がてら、久しぶりの日誌です

 親父3の奴が、4,5年前、職場で休憩中の話
まだ元気に飛び回っていた私だったのに
「うちの親は歩けなくなったら
家の中掃除機にまたがってでも動くと思うよ」
って言って皆で笑ったという
何さ!外だってスケーターに乗ったって
出歩いてやるさ!って思い
日誌にも書いた事があったっけ
近頃広い公園内を移動できる2輪移動車がある
丁度桜木町の歩く鋪道の速度
あれじゃいらいらするだけかなぁ?
それに公道は無理か!
誰か杖要らず発明したら憶万長者だよ〜
DR。Nakamotoのホップする靴もあり
パラリンピックで両足義足で
猛スピードで走る方だったてある
どれだけの努力があったろう
私と比べるレベルじゃないが感動に震えた場面だった
こんな程度で弱音を吐いちゃ
申し訳ないと思った

杖を方々に置き忘れるようになって
結局一本バスに置き忘れて
車庫に電話したが届けは無いと言う
届け出があったら電話入れますと番号を聞かれた
座席の前のパイプにかけたものだったが
電話は無し、忘れた自分が悪いのだ
杖を忘れて出てこない日本になったか!
老人社会だもんなぁ
自分がこうなるまで気づかなかったが
杖をついて歩いている方
カートをひいて歩いている方の
何と多い事か
お互い自分より辛そうかな?
と目で追っていたりして

残りの一本の杖は
こっちからお蔵入りにしてやるさ!
杖無しで出かけ始めて一か月が過ぎた
カートは荷物入れだから離せないが
90%はカートにも頼らないで歩ける
カートの中身の重さにもよるが
階段も段差が異常に高くなければ
交互に足を運んで上る
なぁ〜んだ、やれるじゃん!
ん?自然治癒すれば人工膝だって
当然歩けるようになるのさ
威張るな!ってか!ヘイ(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

両足の痺れ、神経痛、膝頭の強いつっぱりはまだある
何の!外歩ければ私には御の字なのさ
坂道も急がなければ降りられる
ちょっと速足もやってみた、出来そう
ん?ハイ、わかっとります
これ以上無理はいたしやせん!
電動自転車充電してみた
自転車乗ってる人の足の曲がりを
何日も観察してみた、160度くらい
膝が曲がらないと漕ぐのは無理と知った

しかぁ〜し、人工関節と自前の関節では
使い勝手が違うのは実感
激痛じゃなかったら、すこしずつ歩いて
腿に筋肉つけて痛み和らげて
出来れば自前で歩けるのが絶対にベスト
バスの中で膝に荷物がぶつからないか?
隣の席に人が座られる時は
思わず膝を手のひらで覆っている自分がいる
人工関節の耐用年数10年強との事
永久じゃないんだよね
ん?まだ10年生きるきかって
明日死ぬかもしれない年齢さ
年を重ねたからと言って
まだ苦難もあるかもしれん
でも、老人にだって明日はあると
信じて生きようと思う

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平成27年12月18日


加齢なる日々

うふっ・・おほっ・・、へぇ〜
今、「加齢なる日々」小川有里著を読んでいる
「夫元気で留守」が定年後夫婦には
何よりのご馳走
もう随分前から聞いている言葉なんだけれど
今更言う?って気もする
逆は?「女房元気で偶には留守が良い?
もありだろうなぁ、やっぱり
多少の不便は1週間位なら夫はルンルン?
カレー作って行ってくれよ!
なぁ〜んて女房殿が留守をするには
多少いらっとする事と準備がいるらしい
多少の飲み代も手渡して?

私には無かった夫婦の老後
頭の中は綺麗な絵ばかりが描かれてる
一緒に長生きしてたら同類項だったさぁ〜
なぁ〜んて誰かさんが言うけれど
少しは違うさ!って声を少々高めて言える!
だって、私奴は22年間の結婚生活
毎日顔をつき合わせて暮らしてたんだい
一緒に居て鬱陶しいと思った事はない
毎日一緒でよく平気だね
なぁ〜んて外で夫の方が言われていたらしい
人生の相棒でもあり仕事の相棒でもあったんだから
仕方ないやねぇ
事務所では上司と事務員で敬語使ってたしね
普通のサラリーマンの方からすれば
22年間で一生分一緒にいた事になるのかも?
結婚前の交際期間6年もプラスするか
朝出かけるのも夫の車、帰りも勿論一緒
夫が仕事を引退した後の姿は想像できないが
夫婦揃っての老後があったとして
ん?お前さんが気まま勝手に
夫をこき使ったに違いないって?
勝負は如何に?はっけよいよい
残ったのこった?
ほ〜んと30年も残っちまってる

さてと、本題に戻りますかね
この本は著者の知り合いに老後の実生活を
レポートして書いたのだそう
妻は夫が結婚以来自分に注いでくれた愛情の量だけは
老後の夫に愛情を返すが、決してそれ以上は
返さない、きっぱり!だそうである
倍返しは決してないのだと言う
なに?そんな風に一括りにされたくないって?
う〜んそれは幸せ者ですねぇ
苦労をさせられた分はしっかり老後に
夫にはお返しするらしい
これは割り増し返しもあるそうな
要するに義理堅いのさぁねぇ〜、ん?
う〜ん、「女は怖い!」なんて
今更気づいても、遅いのさ!

65を過ぎて若い女性に持てるには
1にも2にも経済力だって
先日何度もお金目当てで70代男性と結婚しては
その度に毒殺した無茶苦茶美人とも言えない
高齢女性がいたっけね
ん?妙に持てるなあと思った時はご用心めされ

ちょっと怖〜い話
夫が2階、自分は階下で寝ているけれど
朝いつもの時間に起きてこなくても
見にはいかないのだって
倒れていて発見が早ければ助かってしまうから
お〜こわっ!そんな事したら夫の亡霊に
生きている限り悩まされるのでは?
事実はどうあれ、こんな事を公言する人がいるんだから
今から心を入れ替えて妻に尽くせとある

読み進む内に変なミステリー小説よりも
これ以上何が?って思うとドキドキして来た
この続き読むと今夜眠れないかもなあ?
夫を「ばあさん」に入れ替えてみたら
ある、あるって?誰が言ってる?

いつの間にやら鬱陶しい老人になったものである
薬の種類一杯飲みすぎて体調不良なれど
医者の門叩くと翌日一日位は元気
ピンピンころりとはもう望めない
近頃の足取りではある
ご用心!ご用心!

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平成25年11月23日


バックオーライ

おーらい 、オーライ、バックオーライ
完全な和声英語だよね、語源がall rightだなんて
みんな忘れて?使ってる
しかも『おーらい』ならまだしもである
今日も『オライ!オライ!オラ〜イ!』って
時には『オライッ!オーライッ!』と来る
我が家は角家でよく車がバックで
方向転換をするのである
でもなぁ人生『オールライト』
ってな訳にもいかなくって
ぶつかって転び、転んでは起きの
起きあがりこぼし
その内起き上がり不能となり
何で自分がここまで老いたのか?
なんて自問自答してみたくなる
振り返ればあれもこれも色々あったもんさ
童謡に『村の渡しの船頭さんは今年60のおじいさん』
なんて唄われてるけど
わたしゃ60歳から弾けて、自分の為に生きはじめたのさ
61歳まで働いて
あの人は仕事辞めたら力抜けて死んじまった
なんて言われたくなかったもんなぁ
それにしてはもう十分生きたらだろうって?
うふっ!人間は欲張りなのでありまする
もういつ何があっても仕方ないや!
って言いながら、歩けなくなったら
スケーターに乗って移動したって出かけてやる!
なんて、子供達に言わせれば『ありうる!』
って頷くに違いないのさ!
この位の気の元気だけはまだある
体がついていってるのかい?
って聞かれるとチト困るかもなぁ?

一般歯科、口腔外科、整形外科、胃腸科と
毎週病院の戸を叩く近頃
今まで貢献していた健康保険
お世話になる身になって有難味倍増
でもさぁ、先生はまぁ年並みでしょうとか
お腹痛いなら外科ですねぇ
と真剣に訴えを聞いてくれないしさ
薬は今回は84日分だします!
なんて『言うじゃな〜い!』
『治りますか?』と聞けば『さぁねぇ~』とのたまう
処方箋薬局で払う薬代だってこれだけ長期分となると
診療費以外に3000円以上かかるのさ!
他の病院も一杯かかってるんだからさぁ
勘弁してよぉ〜って言いたい所だけど
こちとら命預けてるから
結局『ではどうぞよろしく!』と頭を下げる

ええ〜い、儘よ!残り少ない命だ!
いつか痺れが広がって体動けなくなるなんて可能性あるなら
自分に鞭打って外に向かってやるさ!
ってカメラぶら下げて、青空を見上げ飛び出す
家でパソコン弄ってTV見ながら座ってたら
ホントの御隠居(ん?そんな上品なものにもなれないって?)になっちまう

今日も颯爽と(気持ちは、そうなのさ!)飛び出した
伊勢佐木町へ行って伊勢屋でビターチョコ買って
松坂屋跡に出来た食品スーパーで夕食の買い物して
文明堂の喫茶「ル・カフェ」で
たっぷりで美味しい特性?カフェオレ飲もう!
カメラは短いレンズをつけてリュックで背負った
清水の舞台から又も飛び降りて少し軽いカメラ買った
長いレンズ持たなければ背負える嬉しさ
お酒のむ訳じゃなしこれ位許される
なんて自分に言い訳しながら
弘明寺でバスを降り地下鉄で行けば関内まで交通費はタダ
バスを降りて地下鉄の下り階段のちょっと手前で
体が「ストップ」って言う
この階段下りるの?相当あるよ〜って
コーヒーは弘明寺商店街外れにあるドトールでいいじゃん!
って囁く
足は既に商店街の入り口目指してる
節約!節約!って
結局ドトールでアメリカンコーヒー飲んで
馴染みの肉屋さんに寄って買い物
まさに「バックオーライ!バックオーライ!」
人生はバック出来ないけどさ

ひさびさの愚痴りでしたが
最後まで聞いてくだすってありがとう!
又ふいに書きたくなったら15分程で
飛び出した言葉書き連ねますぅ
相変わらず口だけは減らないばあさんです・・・。

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平成23年2月1日


坂本冬美さん

会社のパーティーで遅くなると云う
親父2の帰りを待ちながら
珍しくTVから流れる坂本冬美の哀愁に満ちた声を聴いていた
真っ赤なワンピースが良く似合い
わぁ〜、綺麗な人なんだなぁ〜って改めて思った
「大阪で生まれた女やさかい〜、東京にはようついていかん♪」

親父2のゆたんぽに湯を満たして
脇に温かみを感じながら2階への階段を
「大阪で〜生まれた〜、女やさかい〜♪」と
口ずさみながら上り、関西生まれの母を想った
父も母も関西の生まれである
子供の頃から関西弁の中で育った私
坂本冬美が静かに語る関西弁が妙に暖かく聞こえた

一時、歌手活動を休止し、復帰して10年になるとの事
子供の頃は紅白歌合戦を炬燵の中で
みかんを食べながら家族揃って聴いたという
うん、うん、そうそう、我が家も同じだったなぁ〜
と心の中で相槌をうった私
冬美は語った。そして何時しか子供達が結婚して
一人減り、二人減りして母が一人になった
歌に未来を託して、自分の事しか考えなかった年月
ふと紅白を一人見ているであろう
寂しげな母の姿が頭をよぎった
自分一人輝いて光のあたる場所にいて
母の寂しさに思いの及ばなかった自分を恥じた
その後、持病の膵炎が悪化した事もあって暫くの休業宣言
自宅を売って、母の元に帰り一緒に温泉に行ったり
のんびりとした1年を送って、復帰したらしい
お母さまは寂しくはあるものの、娘が目を輝かせて活躍している
様を観るのも又幸せであったに違いない

私の見ていた舞台は、ファン感謝デーの物だったらしい
気の置けない仲間の中に居ると云う安堵感がTVを通して伝わり
彼女が客席に投げかける言葉は家族へのそれと似ていた
最後に自分の今日の舞台の為にだけ作って
貰った歌を唄います・・・と
深呼吸をして溢れ出てきそうな涙を懸命に抑えて
「ほんの少し待ってね」ふぅ〜っと深呼吸をして「はい!」
と自分に云って聞かせるように伴奏のスタートを促した
「おかえりがおまもり」と言う変った題名
長年自分を支え続けてくれた母へのありがとう!
感謝と愛を一杯込めて唄っているのがみなの胸に沁みた

どんなに辛い事があった時にも帰郷すれば母が笑顔で
「おかえり!」と優しく迎え入れてくれ
すべてを包み込んで、暖かい料理を用意してくれた
いつも変らぬ愛で自分を支えてくれた母
その言葉をおまもりにして私は生きて来た
ありがとう!お母さん!
これからは私がしっかりとお母さんを支える側にまわるからね
そんな意味合いの情感の溢れる歌詞とメロディー

満員の客席の殆どの人が感動で泣き
そして、唄い終わって涙がこみ上げて止まらない彼女
彼女のお母様は私位のお年だろうか?
身につまされて、私も涙が止まらなかった
彼女が優しいお嬢さんに育って
母上も、今は舞台上の彼女に幸せ一杯貰っておられるでしょう
拍手がいつまでも鳴り止まなかった

私は母の生前、こんな感謝の気持ちを
伝えてあげた事があっただろうか?
親孝行したい時には親はなく・・
とは良く云ったもので、自分の家庭の事で
頭が一杯で孝行らしい、孝行もして上げられずに
母は83歳の人生を閉じた
臨終の床で「きつい事一杯云ってごめんね」
って唯一謝ったら
何日も意識の無かった母の目じりから涙が溢れた
人間の聴覚は最後まで残るから
一杯声かけて上げてくださいと主治医が云ったけれど、
私の臨終に臨んで娘達は何と声かけをしてくれるのだろう?
いえいえ、私の方から「ありがとう!」って
きっと云おう、そう遠く無い日だよねぇ

年を重ねて、私もいつの間にやら娘達に
守られる側になったようだ
「早く寝なさいよ!」「お風呂早くはいったら!」
なぁ〜んて、ついこの間まで私が
娘達に言っていた言葉じゃないねぇと思いながら
「は〜い」なんて返事を返している私
そんな返事だけをして今夜も又2時半を回った

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平成20年7月28日


快適エコエアコン

 夏本番到来とは言え、この猛暑
暑中お見舞い申し上げます
何で毎日こんなに忙しくしてるんだろう?
自分でも頭を傾げるのだけれど
やっぱり落ち着く時間が無い
と云うかのんびり落ち着いていると
何か嫌な事が襲ってきそうで不安なのである
人間がせっかちで貧乏性に出来ている所為もあるかな?
無茶苦茶自分を疲れさせて
外から何も入る余地の無いように、
いつも自分で隙間を埋めてしまっているか?
となるといつか名古屋の友人に言われた
「一人で忙しがっとるだけだがね」
と言うのも、案外的を得ていたのかもね
ただ人様にそんな風に言われたくはないとは思う
この年のばあさんが西に被写体があれば
重いカメラを持って、炎天下だって何のそのと
外に飛び出し、家に居ればいるで
パソコンの前にべったり座ってるなんて
人から見れば「阿呆か!あくせく生きてきたんだから
もう少しゆったり優雅に?暮らせ!」
って云われるか?
うんにゃぁー、優雅に暮らせる程の
財力は私には無いし
ハイソな方々の中にいたりしたら
お尻がむずむずして落ち着かないに決まってる
友人が来月飛鳥Uで4日間のクルージングに行って来るね
って云う
「安いのよぉ〜!次回は貴女と行こう!」って
気軽に云って呉れるじゃん!
あなたの安いのよ〜は信じられない!
旅行詳細案内を読めと云う
4日間のうち、二日間は服装はセミフォーマルだって
海外のクルージングじゃ無いから
そりゃぁ、その気になって
またまた清水の舞台から飛び降りれば
私にだって行けない事はないけれど
そのフォーマルだとかセミフォーマルだとかって
聞いただけで「やだ!やだ!」って思う
ゆったり遊びに行くのに
正装して周りに気を遣ってなんてのは
まっぴらごめんなすって!
ん?だから貧乏人は困るって?云われるか

あれまぁ、またまた主題から横道にどんどんそれてる!
ハイ、その清水の舞台の話である
作夏は清水の舞台から10回程も飛び降りて
屋根と樋の総とっかえ工事をした
行きたいところも我慢して
食べたいものも我慢してさぁー
ん?食べたいものは我慢してないだろうって?
ヘイ・・・
もうこの古屋に私が費用をかけないぞーと
子供達に宣言をしたもんだ
ありぃ?確か5年前に外壁を塗り替えた時も
そんな宣言した気がするけど
まぁいいや!今回は本当のホント!
これ以上かけたら末はホームレスか?

さて、これからが本題
もう5,6年壊れたままになっていた
リビングのエアコン
毎年隣の仏間のエアコンをつけて
扇風機でリビングに送るなんて事をやっていた
間接冷房でかなり気に入ってはいたのに
娘達曰く、今のエアコンは省エネエアコンだから
換えるべきだと言う
「お金ないよ〜」って私の口癖
わたしゃぁ打ち出の小槌じゃないんだもん
最近は親の手持ちも底が見えてるぞ!
と自覚をし始めたのか?
暮れにはリビングのTXが壊れ、ため息をついたら
娘達二人が32インチを買ってくれた
私が居なくなればTXだって
エアコンだって彼女達のものだしね
ん?もう一回換える位は生きるんじゃないかい?
って?誰か言ってる?

柳の下にどじょうは2匹居る筈無いって思っていたに
又もや「お金ないよ〜」に反応して
夏のボーナスでリビングのエアコン私がつけ換える、と
親父3さまの、耳を疑うようなお言葉
言葉だけかな?と思っていたら
日曜日に「エアコン見に行くよ!」って
意気揚々と量販店について行った
いいよ〜安いのでぇって私
何年も使うんだから
機能の良い機種をつける!と踏ん張る親父3
掃除10年間不要、冬には外気を取り込み
加湿もしてくれるのを選んだ
私が本体の値段を1万円値切った
プラス平日設置工事を選んで−5000円
一万5千円の儲け!
オマケニ、ポイントが18%つくから
DSのプログラム一杯買える!って
エアコンに大金をはたくのに妙に嬉しそうな親父3
親に似て単細胞だけれど、ちょっぴり可愛いのであります

土台骨の生活はまだ私が半分は背負ってるんだもん
甘えてもいいかぁって思う近頃
親がその年まで自分の力で生きて来てくれたんだもの
それ位やって貰っても当たり前よ
と身内には云われるけれど
その当たり前の事が出来る子供達に育って
呉れた事が嬉しい私。親ばかチャンリンと言われようと
精神的には娘達3人に支えられて今日がある私です
面と向かって、ありがとう!とは
なかなか云えないのだけれど
私の子供に生まれてきてくれて「ありがとう!」
と心の中ではいつも思ってる
夫没後、私が家族を守って生きていかねば
と気負って生きてきた23年
そろそろ守られる側に変わりつつあるようである
ひたひたと寄せてくる老いを自覚し始めて
ちょっぴり寂しくもあり、そう遠くない将来
妙に我武者羅に生きた母が居たなぁ
と子供達が多少は懐かしんでくれるのだろうか

願わくは 花のもとにて 春死なむ
その きさらぎの 望月のころ

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平成20年6月26日


その一言を惜しまずにね

珍しく家に居る日が続いていた
午後からは夕食の買い物時間まではパソコンの前
すぐ横にTVの音が流れている
いつもではないが耳で音だけを聞いている事が多い
興味を惹く言葉が耳に入るとパソコンの手を止めて画面に見入る
今日は刑事もののドラマらしい、何十年間も働き続けて
職を離れてほっとした時に、急に妻を亡くした初老の男が登場
男は寂しげに縁側で亡くなった妻が作りおいた梅酒を飲んで
そのうまさに胸をしめつけられる思い
こんな美味しい物を何十年も自分の為に作り続けていた妻に
生前優しい言葉をかけてやった事があったろうか?
毎日、食事が出てくるのは当たり前で
「うまい!」の一言を一度も言った事がなかった自分に
今更ながら嫌悪感を感じずには居られない
何故「うまいよ!」のたった一言が云ってやれなかったか
天を仰いで涙を浮かべ妻に詫びる毎日

そんな中一軒の定食屋を見つけて通うようになった
亡くした妻ほどの年齢の女将さんが一人で家庭料理を作り
味も良いので常連さんがボチボチついている様子
その味と女将さんの翳りに惹かれて
度々通うようになった、ある日の会計の時に
「とってもうまかったよ!」と言って店を出ようとした
ふと振り返ると女将さんが肩を震わせて泣いていた
その時は何故泣くのかわからずに首を傾げたが
通い詰めるようになって身の上話を聞くようになる
こんな美味しい料理を何十年も作って貰って食べてた
旦那は幸せだねと言うと顔を曇らせる
夫はワンマンで家庭は俺の稼ぎで成り立っていて
妻は自分の従属物だと思っていて
料理を作れば「こんなものは食いたくない!」
外で食ってくる、椅子を蹴って出て行く
自分の料理を褒めて貰った事なんて一度もなかったのである
男はそんな彼女に今は亡き妻の姿を重ね
そうだったのか、あの日自分が彼女に云った「うまかった!」
と言う一言が彼女を泣かせたのだとやっと気づく
まぁ、そんなこんなで二人は老いらくの恋に落ちるのであるが
その筋をここで全部書く気は無い

私と同じ年代の夫達は殆どが
こうであったのでは無いだろうか?
私なども夫生前は同じ時間事務所で仕事をし
帰宅すれば私は即台所に立って
こ一時間で3,4品の料理を作って食卓に載せる
やはり毎日当たり前のように夫は「うまい!」とも言わず食し
偶に「美味しい?」って聞くと
「まずければ食わん」と複雑な言葉を吐く
そんな時「うん!」と一言、言って呉れるだけでも
どんなに嬉しいか知れないのにね
思ってても口に出せない年代かぁ〜と諦めた
ドラマと同じ世界は私にもあったのだ
ただ一度だけ「家のめしがうまければ男は毎日帰ってくるもんだ」
なんて、妹夫婦が来ている時に云った事があった
夫没後、仕事で行っていた先のご主人が
お線香を上げに来て曰く
故人は奥さん自慢でねぇ。我が家の料理は外で食うよりうまい
っていつも自慢してましたよ、なんて
逝ってしまってから聞くなんて悲しいような嬉しいような
泣き笑いだもんね、なんて手前味噌な事を書いたけど

熟年の夫諸君よ!今からでも遅くはない!
妻の料理を褒めよう!褒めて料理上手で美しい妻に育てよう!
他人を褒めたって、何も自分に返ってくるもんないよ!
でも妻を褒めれば、自分に優しさが返ってくるさ!
ん?あんたにそんな事云われなくても
実践済みで我が女房どのは料理上手で美しい?
こりゃまた失礼をいたしやした!
でもちょっと耳に響く方もいるでしょう?
夫婦は阿吽の呼吸で響きあうものさ
なんて粋がってないで、嬉しい時はしっかり
言葉に出して云って貰ったら、百倍嬉しいものさ
女房殿の可愛い表情を見ようと思ったら
ありがとう!を連発しようねっ!
なぁ〜んかなぁー、お互いに云える相手がいて
いいよなぁー!私も老いらくの恋でもしてみるか?
うんにゃぁ、そんな面倒くさい事は
もうしたくない、今の自由は何にも代えられないもん
はい、おやかましゅう・・・。
★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成20年4月10日


風邪からの瞑想?

寒気がする、熱が少々あるらしい
くさめが2回
はぁ〜っくしょん!くしゅん!
どうせなら豪快に行きたいのにさ
2回目は犬のくさめのよう
夕べから風邪薬を2度も飲んだのに
自己治癒力が落ちてるんだよねぇ
今日は珍しく外出の予定はないのだから
ベットで寝ていられるのに
突然!そう、突然なのですぅ
洗面所に行って、バケツにお湯を汲んだ
雑巾がけしなくっちゃぁ
って思ったのですぅ
ん?何故って?それがねぇー
ふとした風邪が元であの人は逝った
なぁ〜んて事になったらどうするかぁ?
家の中少しはこざぱっぱりしておかなくっちゃぁ
雑巾がけしたから家の中がすべて
綺麗になる訳でも無いのにねぇ。あほな奴です
まずは台所のキッチンマットを洗濯機の中へ
そして床を丁寧に雑巾がけ
階段と一階の廊下、玄関先もね
お尻を持ち上げて
学生時代の廊下掃除思い出して走った
ふふっ!走れる程長い廊下があるのかって?
うん、しょぼ〜ん w(☆o◎)wが-ん
でも気分は走ったのさ
あほっ!
こんな元気あるじゃないかっ!
死ぬもんかっ!
パソコン机の下のガラクタも
捨ててさっぱりさせて
って頭の中で順序考えてたのに
ここで炬燵の中に逆戻り
背中は汗びっしょり
着替えなきゃぁ、風邪引く!
って既に風邪引いてるのにさぁー
風呂場でシャワー浴びて
総着替え
何をやってんだかぁー
いつも私のやることとんちんかん

それもこれも今読み出した
「おひとりさまの老後」って本の所為だ
親は老いて子供の役に立たなくなれば
必ず疎まれる?
信じられるのは自分だけだよ〜
って、寂しいよなぁー
誰も子の世話になりたいと願ってなんて
いないけれど
作者は独り身の人みたいだから
わかっちゃいないんだよな
って一人で納得させて
もう最後まで読んでやるもんか!
なんて思いつつも気になる本なのであります
ピンピンころりと逝くんだよ!
って自分にいいきかせつつも
ん?いつか突然誰もいないときに倒れて死ぬ?
なんて嫌だ!
ちゃんと臨終の床で子供達の手を握り
あなた達が私の子供達で良かったよ
幸せな人生だったよ
ありがとう!姉妹仲良くね
と言ってから逝きたいんだよねぇー。
ん?人生そんな思い通りになんていかない?
これで後15年ものさばったらどうしようねぇ
そんなに生きる蓄えも無いしねぇ
とにかく、こんな事を考えさせる
風邪って奴を退治しなきゃぁね
あ〜あ、たまご酒でも作って温まって寝るか

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成20年1月11日


ああ結婚

活動的に動き回った1年が明けた
ほぼ平穏に過ぎた1年だと思ったけれど
思い起こせば色々な事があった
懐かしさが込み上げて来る挿入曲を聴きながら
訳もなく胸にジーンと来る私
今年も感情過多で泣き笑いの一年になるに決まってるけど
新年はまず初笑いで始まった
お元日の事である
10時頃配達される年賀状を勇んで取りに行って
まず親父2、親父3、私と上書きを見て
私が選り分ける
私へのが断然大きな山になる
差出人を見ながら分けたいのだけれど
目の前で親父達が「早くしろ!」と
目で訴えている
量は私、親父3、親父2の順
例年の事だから親父達は良く知っていて
2番目に多い山に親父3の手がすぐ伸びた

わっ!来ちゃったぁー!出してないよ〜
なんて言いながらむさぼるように
読み進む内に中程の1枚を見て
心臓がドッキンドッキン
えぇ〜っ!吉永小百合だってぇ〜!!
なぁなんでぇ〜?
ほらっ見て!見て!って親父2にかざす
ばぁ〜か!郵便局の宣伝でしょうがぁ〜!
って、こんな馬鹿な母親見たこと無い!
って顔で二人共馬鹿にした笑い
良く見直すと確かにそうだ
そうよねぇ。どう考えたって私に?
吉永小百合から賀状が来る筈ないもんねぇ
何時もの事さぁって顔の親父達
紛らわしい広告入れないでよねぇー
一人シュンとなる私
今年のどじ初めではありました

今年は私の干支
よくもここまで元気で来たもんだ
って思う
松の内が終わって
役目の終った屠蘇器を綺麗に洗って
一つづつ箱におさめて
又来春まで出番は無しだ
来年私の手で又この道具を出せる?
なんて例年は思いもしなかった事を
思ってしまうこの頃
母も晩年はこんな思いをしながら正月を
又一年、又一年と超えて来たのかと今思う
ここに来て今年の抱負なんて
堂々と云えなくなったもんなぁー
それに抱負を言える程の大した生き方をしてやしない
趣味に生きるなんて最高の贅沢と思っていたけれど
だから安楽って訳にはいかなくって
それなりに又ストレスを背負って生きてる
やっぱり人生とストレスって奴は生涯縁が切れない

嫁には行く気は無いのかと思っていた
親父2が三十路半ばにして
嫁に行きたいと言う
夫没後は子ども達3人と一塊になって生きて来た
親父2は中学2年生の時だった
みなし子にしないで呉れと
自分が家に居て、私が出かける時は
いつもくっついて来た彼女
あの頃を思うと今も胸が痛くなる
親父2も3もすっかり大人になって
今は偉そうに私に意見をするようになった
親子逆転かな?と思うけれど
そうでも無いらしくって
ある部分では私に一目置いているところもある
忙しく出かけまくっている私だけれど
まだ少しは必要とされている?
( ゜゜)( 。。)( ゜゜)( 。。) うんうん
なんて自分を慰めて見ても
一生子どもの傍について居る訳にも行かないし
いつかはこんな日が来るのだもの
人間生まれてくる時も
死ぬ時も一人だものねぇ

大昔、私の恋愛中の事
門限は10時、これを破った事はなかった
時間までに送って貰ってバイバイ・・
って別れた途端に又会いたくなって
毎日一緒に居られたらいいなぁ?って思った。
折角送って貰ったのに又
今度は彼をバス停まで送って行って
そうすると今度は彼の方がやっぱり心配だからって
再度送ってきて
送って行って〜送られて♪〜
って歌が昔あったけれど
あれって本当だよなぁーって思う
でも、いざ結婚して二人の生活が始まると
実家が恋しくなって、夜になると
帰りた〜い!って思い
彼の親族との集まり時などは
実家の雰囲気が懐かしくて
トイレに駆け込んで泣いたりしたっけ
そして、そして
幾星霜
女はどんどん強くなるのであります
三つ指突いて迎えていた妻が
いつしか人差し指一本で夫をつかうのであります
ん?男性諸氏、意義あり!?
声が小さい!!もそっと大きな声で
云って下され!
女三界に家無し!なんて言うけれども
絶対にここが私の家だっ!
って今は思うものねぇ
でもこれも一人暮しになると
犬の遠吠えのようになるのかなぁ?

そう云えば私が嫁に行った次の日
母は食卓に私の茶碗と箸を出してしまって
そうだ!もう居ないんだ!
って涙したそうだ
そして末っ子の妹が嫁に行った時は
○○さん(妹の連れ合い)が憎らしい!
と言って声を出して泣いた
もうっ!子供みたいねっ!って
あの時母を嗜めたけれども
あれは母の正直な気持ちだったのでしょうね
でも、その翌年には母は嬉嬉として
孫の面倒を見てたっけ
私は孫が又生まれても、もう面倒は見ないよ〜
って親父2に宣言した
遊ぶ体力はあっても
神経を一杯つかって赤ん坊の面倒を見る
気力はもう持ち合わせてはいない
これだけはキッパリである
長女の時もいつでも出戻って来い!って
嫁に出した
だから大事にしてねって
涙ボロボロ流しながら婿に云ったっけ
幸せらしくって14年?も経った今も
愚痴ひとつ溢さない長女
今度だって、きっとそう云うよなぁ
だから、親父2よっ!
絶対に、幸せになるんだよ
私も素敵なお茶飲み友達でも探すかな?
ん?誰もお呼びじゃない?

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平成19年11月8日


目医者さんは好々爺

目の疲れからか、右目から涙が絶えず出ていて
手でこすって拭いている間に目尻が切れてヒリヒリと痛い
12日から九州旅行だし
旅行先でひどくなっても困るので
医者嫌いの私だけれど思い切って、目医者さんに行く事にした
以前もの貰いが出来て行った事のある
個人医院にしては大きめの「●●眼科医院」である
入り口を入ろうとしたら中が妙にガランとしていて静か
又運悪く休診日に来ちゃったのかな?
と恐る恐る自動扉の前に立ったらすんなりとドアーが開き
中年の綺麗な受付の女性が一人退屈そうに座っていた
思わず「今日は休診日ですか?」
大きな医院であるし待合室の椅子もこれでもか!
って言う程あるのに人っ子一人居ない
「いえ診療しておりますのでどうぞ!」と作り笑顔
私は医者運が悪い!と長年病院勤めをしていた長姉がいつも言う
盲腸の手術の時も退院後すぐに癒着でてこずったし
子宮筋腫の時は手術の失敗で腰椎を痛め
その上ひこつ神経麻痺を起こした
その後遺症は今も足の痺れと腰椎に残っている

躊躇しながらも入り口を入ってしまったのだから
診て貰うしか無いか!と観念して保険証を出そうとして
はっ!と気づいた
出掛けに大きなバックから手軽なバックに中身を入れ替えて
バックの内ポケットに入れた保険証
入れ替えるのを忘れてた!
「あっ!すみません!保険証忘れてきちゃったみたいです」
しばし考えていた受付嬢「初診ですよね?
そうでなければ後でも良いのですが。お近くですか?」
「いえ、でも自転車ですから、一度帰って出直します」と
何だか胸を撫で下ろす感じで外に出た
家までの自転車をこぎながら考えた
ここは止そう!たしかもう一軒
家からもう少し近くにお向かいの奥さんが
通っていると言う「▲▲▲眼科」って言う医院があった筈
自転車を漕ぎながら電柱広告を目で追っていたら
あった!「○○商店街裏」ふ〜ん、何とか探せそう

自転車を玄関先にとめて、保険証をバックに入れて
再び出発!
目指す眼科はわりと簡単に見つかった
程ほどの建物と外見は小奇麗な医院
うん、こんなところの方がきっと丁寧で親切かもなぁ
入り口を入ると、ここも子供連れの患者さんが一人
その割には20分以上待たされて
診察室に通された
検査技師の人が目の視力検査と眼球の検査をして
いよいよ先生の登場である
ん?先生?80がらみの白衣を来た
ご隠居さん風の人がどうやら先生らしい
足元も少々おぼつかない
視力の報告書にゆっくりと目を通しながら
「あんた働き者じゃろう?
片目が中心性網膜炎を患って見えんのか?
これは目から来る病気じゃない
働き過ぎて体使い過ぎて疲れからなるんじゃ」
ふ〜ん初めて聞いた。今までに何度かかかった目医者さんでは
この病気は原因もわからないし
治療法も無いと聞いていたんだもの
「そろそろ仕事やめるんじゃねぇ
白内障もまだほんの初期じゃがあるようだし
余り無理をしちゃぁいかん!」
「はぁ〜・・・・。仕事はもう10年も前に退きました」
「何かやっとるじゃろうが、こんなに目を酷使して
無理をせにゃぁ目尻が切れる程荒れやせん」
ふふっ、説教を聞きに来たのかぁ?
「年をとってからつけがくる!」
「はぁー、もう十分年は取っておりまして・・老年真っ只中です」
カルテに目を落として、目を戻し年齢を確認して
「まぁー元気だわなぁ!」・・後の句が続かないらしい
元気なら医者に来ないんだけどなぁー?

説教を諦め
やっと診察する気になったようである
目にレンズをはめて良い方の右目の中を覗き込んで
曰く「あ〜あ、中心が白く曇っとるわなぁー」
「あのぉ〜、先生、そっちの目は健康な方の目なんですけれどぉー」
慌てて左目を覗き込み直して「おおそうじゃ、こっちの目じゃ
(ん?今確か右目を診て仰いましたけどぉー)・・と心の中の言葉・・・
「右目の方は多少の白内障じゃな、まだ手術は必要ないが
今は日帰りで手術できるから」
おどろいて「先生、片目見えないんで、
私は余ほど右目が悪化しないと手術はしないつもりです」
ときっぱりした口調で言った
だって、以前は名医だったかも知れないけれど
白内障の手術をなさるには失礼ながらお年を取りすぎてる。と又心の声が言う
「いや上手な先生が居るんじゃ、その時は紹介するよ」ほっ・・・
「抗生物質の入った目薬と塗り薬を処方するから
それで様子をみよう」
かくして無事薬を貰って解放である
今日のところは市販されていない目の塗り薬を貰えれば上等なのである
お年は召しているとは言え
愛すべき先生ではある。これが外科だと少々困ったものではあるが
跡とり息子さんが居ないのかなぁ?
何年か後に看板降ろしちゃうのかなぁ?
なんて余分な心配までしてみる

先日の思いもかけぬ入院から
そろそろお医者さまとはご縁を繋いで
置かないと駄目かなぁと思い始めた私ではある
★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年10月18日


MRIは嫌だ!

月曜日(15日)に
血液検査と腎臓、肝臓の検査結果を聞きに行き
肝臓の再検査を言い渡された
何でも肝臓の一部が変色しているそうな
フォアグラじゃあるまいし
焼いたように変色してどうすんのよねぇ
17日3時にMRI撮影の予約
仕方ない体の総点検のつもりで受けるか!
そして今日(17日)が到来
2時14分のバスに乗った
病院着2時半、30分早すぎたけれど
昼食もたべちゃいけないのだから
お茶をしてもいけないのか
地下2階のMRIの部屋までゆっくりと
階段を足で降りた
大きな扉の前で深呼吸をして
自動扉の中に
何ともものものしい部屋である
MRIの機械そのものは何千万?いや憶?するらしいから
此の位格好つけなければいけないのかなぁ
なんて勝手な想像をしながら
味気ないスリッパに履き替えて
ぼんやりと順番を待つ

しばらくして愛想の悪い看護婦さんが
時計、指輪、そしてそのイヤリングを外して下さい
ってひっつめ髪のその人は事務的に話す
この間の病棟の看護婦さんは皆愛想良かったのにね
此の位の年(50歳近いと思われる)になると
そうそう愛想良くもしていられないのかな?
多分検査なのに余り神妙な顔してないのが
気に入らないのかなぁ?
化粧をしてピアスをつけてロングスカートだから?
時計と指はは既に外してバックの中
ピアスだけを外して小銭入れの中に入れた
服を脱いで、これに着替えて荷物はロッカーの中に入れて
とじろりと上から下の服装を点検しながら言う
どうやらこの私がお気に入らないようである
着替え終わって待機していたら
今度はレントゲン技師が勢い良く出てきて
曰く「医局でMRIを受ける時の注意書貰った?」
はい、貰いました。昼食は控えてって言われましたけれど
読んでないの?マニュキュアはしないで!
って書いてあったでしょう?
あっ!そうだったのですか?じゃぁ化粧も?
「そうです!」と赤い爪と化粧した顔を見ながら
苦々しい顔つき、さっきの看護婦さんが
あの人化粧してマニュキュアまでしてますよ!
って言いつけたに違い無い
でも言いたいな、何故化粧がいけないの?
マニュキュアだって磁気に影響するとは思えない
「体の中に金属入れてませんね」
ってダメ押しするように言った
ん?ばあさんがへそピーでもしてるのかい?
人工関節を入れてる人も居るからかな?

ベットに仰向けになり、お腹をベルトで締めた上に
お腹の上に重い板のようなものを載せられ
その上から又ベルト、両手は脇にしっかりつけて
手も下に落ちないように半固定
時間長いですからね。ちょっと辛抱して下さいよ
かくして狭い細長いカプセルの中
この状態で大地震が起きたら私は一体どうなるの?
最初は17秒の息とめを4回位
次に20秒が3回
何時もは多分40秒位は息が止められるのに
緊張してるのか20秒がギリギリの線
大体、はい息を止めてと言ってから
ガァガァと放射線が出る時間までに3秒位のロスがある
その内コツをつかんで息を止めてと言われてから
もう一呼吸を試みた
最後は2分間、体ごとゆすぶられた
これは体を微動だにしてはいけないけれど
息をしても良いと言うので
2分間なら詩吟の絶句が唸れるな
と声を出さずに鞭声粛々〜なんて唸って
やっとリラックス
急に楽そうになったのを気づいたのか?
「○○さん、大丈夫ですか?」
ってマイクで声をかけてきた
「はい、大丈夫です!」
と元気一杯答えて、5,6分後無罪放免
服を着てカルテを受け取って
早々に退散である

なかなか来ないエレベータを待って
やっと2階の会計のところまでたどり着いた
と周りの人の奇異な目が私の足元に?
ふと見れば手術室ではくような
病院のブルーのゴムサンダルを履いて
澄まして歩いてた
恥ずかしい〜っ
急いで踵を返して又地下2階へ
自動扉の中に入ったら運悪くさっきの看護婦さん
馬鹿じゃないの?って顔で笑いを堪えてた
何でこうどじなんだろうか?
会計をすまして、急いで外に出た
美味しい焼きそばのお店があるのだけれど
我慢して素通りしてバス停へ
お昼は帰宅してお粥ときゅうりの漬物と言う
質素なもので済ましひたすら減量にあいつとめた
さて、来週月曜日の診断結果は如何に?
金曜日は吟の稽古日だし
土日は何処かに出かけてやるんだから!
又入院なんて、こんな元気なんだからないさねぇ

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年10月11日


いざ鎌倉転じて入院となる

目覚めたら窓の外は雨
今日も家にくすぶってないで外に飛び出そう!
って思ってたのに
しばし思案の末、そうだ!
雨に濡れた円覚寺の石畳撮りに行こう!
一人で出かけようと思うと支度をしている間に
いつも気分が萎えて中止なんて事が多い
今日は行くぞ!ってまず風呂の湯を落として
湯船にどっぷり浸かろうとして
ん?腰が変?ギックリ?
違う!お腹も痛い!
夜は涼しくなったのでお腹が冷えたのかな?
温まれば治まるだろう
ズンズンズ〜ンと波のように押し寄せて来る痛み
ただ事では無いと湯船を飛び出し
ソファーに倒れこんだ
寝転んでもお腹を二つ折れにしても
まるで陣痛のように押し寄せて来る痛み
貼るカイロを2枚服の上から貼って
暖めて、落ち着け!と自分に言い聞かせて
水をコップ一杯飲んだ
それでも一時間ちょっとその痛みに耐えた
一人で居るって事はこう云う事だ
なんて猛烈に痛い中そんな寂しさも味わう
冷や汗が出て、その内口の中から
酸っぱいものが込み上げて
トイレで何度も胃酸のようなものを吐いた
これはただ事じゃない
こんな時やはりSOSを出すのは
しっかり者の長女、親父2も3も電話をすれば
きっと会社から飛んで来ては呉れるだろうけれど
親父2は明日からサイパン旅行に出かける
って言ってたし、私の事で中止させたくは無い
電話口に出た長女に状況を話す
近くの医者に駆け込むって話したら
何言ってんの、そんな痛みで個人病院へ行ってどうするの!
救急車呼ぶから汐見台病院へ行きなさい
「やめて!お願いだから救急車は呼ばないで!
ご近所騒がせたくないしさ」
大丈夫!何とか通りに出てタクシー拾って行くから
急いで服を着替えお腹を二つ折れにして
通りに出て、幸いタクシーはすぐに拾えた

真っ青な顔に汗ばんだ顔で苦痛に耐えている私を見て
運転手さんも急を要する事を知ったらしく
空いた道を飛ばしますね!
6,7分で到着、感謝をこめて1000円を払って
院内に飛び込む、救急車ならこんな時
即診察室なのだろうけれど
そうはいかない、受付で状況を話して
保険証のコピーを取られて
時間外だけれど内科医が見るから
診察室の前で待て!と言う
体温は6度6分、わたしにしてはある
平熱は5度4分だから
痛い中問診を受ける
その後ソファーで30分以上待つ
内科医が席を外しているとの事である
大丈夫ですか?ってこの痛い中聞かれても
普通は「いえ、我慢なりません!」
て言うのだろうけれど
口から出た言葉は「はい、大丈夫です」
馬鹿っ!長女が電話で言ったっけ
「死にそうに痛いって言うんだよっ!
じゃないとすぐに診て貰えないからねっ
後の祭りではある
待合室の椅子の背中に齧りついて
痛みに耐えた
1時間半も痛んだお腹は
やっと診察の段になって激痛が少し
治まっていた
腰を叩いて痛みに響くか?
って聞かれたけれど判らなくなっていた
とにかくCTとレントゲン、血液検査を受ける事に
その頃には痛みもどんどん和らいで
もう少し家で我慢してれば良かったかな?
なんて思う、一方でこれは大腸癌か何かの末期で
この痛みを繰り返すのかも?
遊びすぎて撥が当たったかもなぁー
この世とのお別れの前哨戦?

レントゲン室を出たところで
長女が下の孫を連れて来てくれた
学校が2学期制で丁度秋休みだったらしい
短い秋休みなのに可哀想な事をしてしまったなぁ
すっかり痛みも治まってしまっていて
何だか嘘ついたみたい
診察室に上がって、今度は血液検査
4本も血液を取られた
痛みが治まったら猛烈に喉が渇いて
水を買って来て貰って飲んだ
5分も経っただろうか?
忘れていたあの痛みの再来である
暫く椅子の背を掴まえて耐えた
その内待合室の椅子にうつぶせに寝転んで
体をくねらせた
娘が診察室に言ったらしく
検査室のベットに横になれた
横になって楽ってものでも無いけれど
病院のベットは何となく安心感はあるから不思議
痛み止めの点滴をしますから
と痛みが少し和らいで来た頃に点滴が始まった
一本終わるのに4,5時間かかりそう
痛み止めが入ってると言う安心感もあって
痛みは又遠のいていった

医者と娘との会話
少々腎臓が腫れているのですよ。白血球も多い
入院して様子見ますか?
はい、このまま帰られても家の者が心配しますから
「なぁ〜に言ってんの、私は嫌だ!帰る!
でもさぁ、親父2、と3に一応電話入れたけれど
絶対に病院に置いて貰って!って言ってるよ
かくして否応なく入院と言う事に
点滴をしたまま車椅子で病室に
これじゃ重病人じゃない
まだこんな事位で死にたくは無い
5人部屋に先客は2人
皆カーテンを張り巡らし入った途端に
この圧迫感嫌だ!と思った
いいか、一泊で絶対に帰ってやるんだから!
考えてみたら今日は昼食も食べていない
時間は6時過ぎ
今日の夕食の準備は間に合いませんので
何か買って来て上げて下さい
と看護婦さんが娘に言う
でも食べると又あの痛みが来ると思うと怖いから
と言う私に、でも病院で食べて見て
痛みが又来るなら安心
結局、赤飯のお握り一個とプリンを買って来て貰う事に
寝巻きは一晩350円也で
病院の売店で借りた
男物のL版をお持ちしましたって言う
ゆったりした方が楽ですからね
と看護婦さんはフォローをしてくれたけれど
15年ぶりに病院のベットの中
眠れる筈が無いので誘眠剤を貰った
点滴が7時半頃やっと終わる
後で聞いたらこれは痛み止めでも何でもなく
ブドウ糖だって言う
患者さんは安心して不思議と痛みがこれで
和らぐ事が多いのですよと先生
今度痛んだら座薬を入れますよだって
ブドウ糖に騙されるなんて
やっぱり単細胞だぁー
こいつならこれできっと効くって
先生がおもったんだよね

ベットの上は予想通り退屈の一語
外は暗いし天井を見上げてるだけだもん
これで3日も天井眺めてたら絶対ボケるなぁ
恐る恐るペットボトルの水を半分飲んだ
5分、10分、今度は大丈夫らしい
トイレに尿壷が用意され
上一面にガーゼが張ってある
尿は残らずここに溜めるようにとの指示
7時半過ぎにトイレに立つ
ん?大きなコップに取った尿の底に?
黒いものが?ガーゼで漉して壷の中に流す
残ったのはガーゼの上の黒い2,3ミリの石
横に繋がって鎖のようになってた
多分これが横になって尿管を塞いでいたのよね
ナースステーションに飛んで行った
出ました!出ました!
看護婦さんはキョトーン
そうよね、お化けが出たにしては嬉しそうな顔
あっ!ごめんなさい、今尿の中から石が!
真っ黒な小さな石!
奥で聞いてた先生が飛んで出てきて
出たか!出たねぇー
ベットに戻ってこ踊りして
とりあえず大腸癌ではなかった
電話室に走って我が家に居る長女に電話
8時半に長女と親父2と親父2の彼氏が
一緒にやって来た
この調子じゃサイパンも無事行けそう
でほっと安堵の親父2
携帯を海外でも通じるようにしたから
なぁ〜んて結局行く気だったんじゃないねぇ
まっ!いっかぁ!邪魔したくないもんね
9時消灯で一人取り残された私
他の二人はしっかりカーテン閉めて籠の中
それ程重症の人には見えないけれど
お喋りはしたくないらしい
誘眠剤をすぐに飲んだ

目覚めたのは5時、まだ外は暗い
何時の間にか夜が長くなったんだねぇ
今日は泌尿器科の診察の結果で
退院できるかどうかが決まる
朝食は7時半
もやしのうす〜い味の味噌汁に
これ以上小さい鮭は無いと言う程の鮭の切り身
細い小さな焼き海苔一袋
ご飯に牛乳パックが一本である
検温に来た看護婦さんに聞いたら
泌尿器科の診察は外来が終わった後だから
昼過ぎになると言う
病院で又お昼も食べるのかぁ
退屈なので地下の売店に週刊誌を買いに行く
新潮を買いたかったけれど
明日新刊発売だから売り切れだと言う
同じ発刊日なのに文春は残っていたので
とにかくこれを買って
寝巻きの借り料、350円を支払う
寝巻き一枚の事なのに2枚も書類を書かされた
継続契約はいいのですか?と言う
はい、今日退院のつもりですからって
不確かな笑いで誤魔化す

やはり昼食の時間が来てもまだ泌尿器科から
お呼びがかからない
玉子とチーズのサンドイッチ
又もや味のうすいキャベツと人参だけの入った
コンソメスープに野菜サラダはと見れば
キャベツきゅうり刻んだ上に生の剥き海老がのってる
急いで蓋を閉めた
この食事で一週間入院したら痩せられる!
1時過ぎに泌尿器科外来からやっとお呼びがかかった
問診がたったの5分程度
レントゲン写真を見せられて
後石は2個あると言う
出る時につっかかる時もあれば
そのまますんなり出て行ってくれる事も多い
とにかく水分を沢山取って早く
流す事だと言う
後は内科の判断に任せます
肝臓が何だか少し変って言ってましたよ
って無責任
病室に戻って内科の先生の注意事項を聞いた
まだ石が2個残っているので
又尿道にひっかかる可能性はある
その時は出きるだけ早く飛んで来なさい
完全にはまってしまって腎不全を起す事があるから
今週末に肝臓他の詳しい検査結果が出るから
外来に聞きに来ると言う事で
じゃぁ退院しましょう!
すぐに又電話室に走り長女に電話
退院手続きをして貰う
たった二日なのに妙に懐かしい我が家に帰着

ちょっぴり走りすぎていた私
この入院が良い方向転換になりました
生きているからこそ味わえる苦楽
山坂があるから幸せが大きな喜びになる
又、次なる山を目指して、ボチボチ前進です
私には沢山のお仲間と家族がいる
みなさんに改めてありがとう!
★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年8月15日


22年目の夏

夫の葬儀でも涙を見せなかった親父2が
22年目の祥月命日に見せた涙
夫の臨終の時の苦しそうな目を思い出したら
泣けてきたと言う
私もあの時の切なさが蘇って一緒に泣いた
4半世紀近くを過ぎて、親父達二人の
父親への思慕の念は益々強まって行くようである
当時は私がほんの近くに用足しに行く時でも
「ママに出先で何かがあって孤児になったら嫌だ!」
とくっついて来たいじらしかった二人も
今や三十路を過ぎる年になった
親父3が大学を卒業するまではと
変に肩に力を入れて過ごした最初の10年
友とお茶を飲む事も無かった
夫が健在の頃は楽しみは何時も家族一緒
自分ひとりでどう遊んで良いのか判らなかったのかも?
早すぎた夫の死だったけれど
結婚後の22年間は夫にとっては
生き延びさせて貰った人生であったかも知れない
大学生の時胃潰瘍に胆のう炎を併発し
一度は医師に見放されたそうである
最後まで絶対に諦めないで奇跡を願って
献身的な看病をした母のお陰で
一命を取り留めたと言う
結婚の時、この母には
自分がどんな境遇に落ちようとも孝を尽くす
と私に半分命令のように言った夫
その言葉とおり
以降母が亡くなるまでずっと支え続けた夫
返しても返しきれない恩愛を感じていたようである
その母も80歳を病院のベットで迎えた直後
夫と私に看取られてその生涯を閉じた
24年前の事である
その母の3回忌を5月に終えて
3ヶ月後に夫は逝った
まるでこの母を最後を看取るまで
生かされていた命のように

今、夫と共に歩んだ同じ期間である22年間を
私一人で時を刻んだ事になる
その間、夫の姉が逝き
父母を送り
親しい友の突然の死があった
年月は悲しみを少しづつ和らげてくれ
今は昔を静かに懐かしむ事が出きるようになった
長女は結婚をしてすでに13年が経ち
中学1年・男と小学4年の女の子の母になり
親父2,3もはや三十路半ば
幾つになっても子を持てば
母親に心配の種は尽きる事はなさそう
ケ・セラ・セラといつも暢気に鼻歌でも歌って
タッタカタッターと前に進むか!
リビングの主人の遺影が私を見て笑ってる
でも、結構幸せそうじゃないかって
貴方こそいいよねぇー
いつも子供達に英雄視されてさぁー
素敵な相手を見つけて来なさい!と親父達に言えば
パパ程の相手なんてそんじょそこいらに居ない
なんて子供達二人に口を揃えて云って貰って
憎まれる事もなく
私は、一度もママのような母親になりたい!
なんて言って貰った事ないさ!

12時を過ぎても今夜もまだ帰らない親父達
耳を澄まして玄関の鍵がガチャリと開くのを待ってる
静寂の中、キーを叩く音だけが響く
夏、真っ盛りでまだ虫の声は聞こえない

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年7月7日


一体いつから?

こんな行き当たりばったりの人生を
送るようになったんだろう?
ふと立ち止まれば
退職後の人生
無計画きわまりない日々
親父達がいるから夕食の支度に
多少は縛られている部分あるけれど
概ね自由な毎日、人にいいわねぇ
って羨ましがられ
ふふっ、多少は多難の道来たもんなぁ
許されるかも?
なんていい気になって10年
どうせいつかは一人になるんだもの
資金が底をついたらお粥すすったってさ
今少しでも体動く内に楽しまなくっちゃぁー
なんて、自分の余生・風前のともし灯の蓄えを
減らしつつ引き算!引き算!又引き算
引き算ばかりで足し算の仕方忘れちまったぁー
計算上は余命いくばくも無い
なのに無計画ながらも、まだやりたい事一杯あって
ここでくたばってなんて居られない
一体どうする気?って
自分に問うてみる
ふふっ!根性で何とかならぬか?

ウイークデーの6日
平塚の七夕を撮りに出かけた
七夕には一日早いのと昼間と云う事で
人出はほどほど
そんな日を知ってか?
老健ホームのお年寄り車椅子が多く
暑い中ボランティアの方々が
2台を一人で押すと言う重労働である
私も、将来こんなお世話を受けないという
保証はないのだと自分の年齢をやっと自覚する
麦藁帽子を被って
普段外出が少ないのか目を輝かせて上を見上げる
お顔や手には人生の皺が刻まれ
彼女達の人生が多難を極めた事を物語っていた
人に車椅子を押して貰ってでも
外に出られるお年よりは、まだ幸せである
床の中で青い空も見る事が出来ず
臥せっている方々もいる
それに比べて、70を超えてこうやって
元気で自由に外を飛びまわれる
私は何て幸せ者なのだろう
せめて一日一善を目指して周囲の方の
小さなお役に立てる自分でいよう!
明日何があっても
後悔のない日々を心がけなければ
ひらひらと七色に風に揺れる
七夕飾りを眺めながら
余生の大切さを感じ
自分にお灸をすえた私ではありました。
果たして今日からどれだけ
変れるのか?
西川きよしじゃないけれど
小さな事からこつこつと
ん?その年でコツコツでは何も進まない?
グスン・・・ごもっとも!
馬力に磨きをまずかけて、食をまず満たす?
駄目だぁ、こりゃぁー(^_−)−☆

★^-^★^-^★^-^★

[そのうち]   相田みつを

そのうち お金がたまったら

そのうち 家でも建てたなら

そのうち 子供から手がはなれたら

そのうち時間のゆとりができたら

そのうち、そのうちそのうちと

できない理由を 繰返しているうち

結局は 何もやらなかった

むなしい人生の 幕がおりて

頭の上に 淋しい墓標がたつ

そのうち そのうち 日が暮れる

いまきた このみち・・・・・帰れない

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年5月18日


金時山下山の巻

まずは!凱旋・・証拠の写真撮らねばねぇ
ふふっ!やったね!
仲間が同姓ならば抱き合って喜ぶところだけど
一応いくら年を取ってはいても
女でござんすからねぇ
一人で感動に酔う
頂上に人がいなければ
「やったぁーっ!」って大声で叫んでいただろうね
金時山位で何はしゃいでるんだ!
って目でみられちゃうのかなぁ、って自粛
頂上の標識の後ろには秀峰富士の姿
長袖で汗ばむ程の頂上の気温
防寒具、カイロ等は無用に終わった
時間は12時少し前
リーダーが山小屋の中の席をゲット
味噌汁を注文して持参したおにぎりをほうばる
何故だか、私はお腹が空いてない
梅干のお握りをやっと一個たべ
残りの一個は親子連れのお父さんに
たらこのお握り食べてくれませんかぁ?
って貰ってもらった

小屋の中には自家発電の冷蔵庫があり
飲み物を買ったが、登山客が多すぎるのか
十分に冷える暇がないらしい
あまり冷たくも無い、お茶とポカリスエットを買い
一本はお握りを食べながら
もう一本は下山用
壁に金時娘は俳優ではありません
の貼紙が・・・
そうかぁ!一緒に写真は無理かぁ
金時娘さんは何処?
ん?調理場の中の小柄で三つ編みをした方?
ちらっと後姿だけが見えた
無遠慮に覗き込む訳にもいかないしなぁ
って諦めた
さて、下山!身支度をして立ち上がる
出口のところに三つ編みをした
小さなおばさんが?
金時娘さんめっけぇー
この小さな方が毎日水を背負って
頂上まで登って来るの?
って思う程小柄な人である
結局余りじろじろ見るのも失礼なので
後姿を拝ませて貰って
いざ!後半戦の下山のスタート

仙石原をめざしての下山
かなり厳しい大きな段差の石を跨ぎながらの下り
どうしてもつま先に力が入って指先が痛い
逆に仙石原から登ってくる人がいる
途中の狭い道は道を譲られたり譲ったり
出来うる限り「こんにちは!」って声をかける
若者や子供がこの大きな段差を
いとも軽々と飛ぶように下りていくのが
少々恨めしい!
体重は10キロは減らさないとな
って切実に思った
自分の体の重さを実感できる下山ではあります
どれだけ岩場の厳しい下りが続いた事か?
やっと中間の小屋のグリーンの屋根が見え始めた
立ち止まって下界を眺めると
芦ノ湖が僅かに見える
爽やかな山の空気を胸一杯吸い込む
山に登りたい!って思う人の気持ちが今わかる
苦しいけれど、それ以上に素晴らしい事が体験できるって事よね
途中はロープに掴まったり、鉄の鎖を引っ張りながらの下山
足柄山も鎌倉アルプスの下山も結構きびしかったけど
やはり金時山はいっぱしの山である
足柄と鎌倉アルプスの比ではない
30分程下ってやっと中間点の山小屋到着
ここでコーヒーでも又飲めるかな?
って思ったら、小屋は閉鎖中
リーダーが重いのに私の為に椅子を背負って来てくれて
出してくれて一人だけズボンを汚さずに座る
その優しさに感激ではありました
ありがとう!嬉しかったのでありまする
ポカリスエットを三口程飲む
体液に近いからポカリスエットが一番良いと聞いたけど
実際には口びるも口の中もべとべとして
飲んでも少しもすっきりしない
冷たい真水が飲みたい!

再び仙石原に向けて出発!
標識は仙石原まで20分とある
信じるもんか!
今度は木の枝が交差した泥の下り
これもなかなか下りにくいものである
と、下から若い女性のふたりずれ
街中を歩くスタイルである
セーターを肩から背負って、足は?
普通の靴,一人はピンヒール
思わず声をかけた
えっ!これから金時山頂上まで?
うなずくような、半分?マークのような顔である
無理よ〜、その靴じゃぁ
頂上まで凄い岩場を登るのよ〜
そうなんですかぁ、どうも皆さんが
そんな感じの靴を履いていらっしゃるなぁーって
思ったのですよー
って我々のトレッキングシューズに
目を落として言う
頂上まではその格好ではとっても無理よ〜
まぁ、でももう少し行って見てご覧なさいよ〜
額に汗が流れてる
下って行けばまだまだ結構厳しい下りである
あの靴でよくぞあそこまで登ったものだと3人で感心しきり
でもあのまま登って行ったら
きっと明るい内の下山は無理だろうと
人事ながら心配になった
仙石原まで20分と中間小屋の標識にはあったけれど
結局30分位かかってやっと
コンクリートの道が見えた
割と広いコンクリートの道、両側に家
どうにか下山できた
一番ホットしたのはリーダーでしょうね
ここまで一生懸命先頭に立ってリードしてくれた
第一声は「もう大丈夫だよ、倒れてもここなら救急車が来てくれる」

一般道路には出たけれど
仙石原のバス停まではまだかなりあるらしい
どんどん先を歩くリーダーに
ねぇー。道判って歩いてるの〜って
無礼な質問をする私に
ひどい事言ってるよなぁーって
H氏が笑う
判ってるさぁーって憮然と応えるリーダー
だって私だったら一度や二度通った道でも判らないもんって思う
さすがリーダー土地勘は凄いらしい
そう言えば、今までの訓練登山で迷った事ないもんなぁ
東大出の秀才だからあったまいいんだぁー
って一人で納得
後姿が頼もしく見えたのでありました
10分は歩いただろうか?
バス停が見えた!
バスは20分以上待たないと来ない
次の信号の角にあるバス停までもう少し歩こうと言う
そこだと本数が多いのだそう
全く持って、色々と下調べは完璧なのであります
兎に角向いのバス停の自動販売機で
水を買わして!
冷たい真水をやっとゲット
半分近くを一気に飲み干したが
これ程水が美味しいと思った事はなかった
次のバス停まで又5分程歩く
後10分程で湯本行きが来るらしい
どうにか座席も確保できて
どっと疲れが出てふくらはぎに痛みを感じた
降りる時立ちあがれるだろうか?
途中でバスは超満員となる
最初の頃はすいすい走っていたバスだけれど
無線で何やらやりとりして
大平台の手前から大渋滞らしいので
湯本から小田原方面に帰る方は宮ノ下で降りて下さい
と云う
箱根の渋滞は以前に経験して湯本まで
一時間強かかった経験があるので
宮ノ下で下りる事に
でも宮の下だと降りてから駅まで
坂道を少し歩かなければいけないんだよね
ひえー、きつ〜い
ここで最初に弱音を吐いたのはリーダーで
下山で一番疲れているのかな?
って思えたH氏が意外と元気で先頭を立って駅を目指してた
私とリーダーは喘ぎながら坂道を登る
一般道に出るまでは自分がへたっては困る!って
相当な緊張感を持って、我々を誘導してくれていたのでしょう
もう大丈夫!って思った途端に疲れが出たのでしょうね
本当にご苦労さまでした

電車到着まで多少の時間があるので
トイレなどを済ませ
箱根登山電車に乗り込む
車内は満員で座れない
4時前にやっと湯本到着である
無事下山したら湯本で祝杯をあげようよ!
って言っていたのだけれど
座り込むと、帰るのが嫌になるかも?
って意見が一致してそのまま小田急に乗り込み
そのまま小田急で帰るH氏とは
小田原でお別れ
Hさん!一緒に付き合ってくれてありがとう!
リーダーと私は東海道線に乗り換え
藤沢で今度はリーダーとお別れ
いつもは、じゃぁって
手を挙げて別れるのだけれど
どちらとも無く手を差し伸べ
感謝一杯の気持ちをこめて握手を交わす
戸塚で東海道線を下りて
地下鉄に乗り、充足感に一人で酔った
金時山登山成就までの長い道のり
ずっと導いてくれた
リーダー本当にありがとう!
そして応援して下さった大勢の方々に
感謝です。
次はどんな事に挑戦したい!
って言うのか怖い!とリーダーが言う
ふふふっ!次なる目標は何にしようかなぁー?

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年5月8日


いざ!鎌倉、いや金時山!

30日朝、4時少し前にベットから抜け出した
28日に決行の筈だった金時山
この日は午後から雷雨の予報が出て
30日に日延べになった
28日午後は予報通り日本列島大荒れの一日となり
リーダーの好判断に大拍手!
足柄山登山の時は、やはり6時少し前に家を出た
親父達には山に登るなんて告げずにそっと身支度を整え
玄関でトレッキングシューズの紐を結んでたら
親父3がいきなり2階から起きて来て
登山装備の私を見て、絶句
暫し沈黙の後「何?どうしたのその格好?」
「うふっ!山に登ってくる!」て照れ笑いの私
「気をつけなさいよぉー」って親みたいな事を言う親父3
背中に視線を感じながら家を飛び出す
「今度はさぁー、山登りなんか始めたみたいよ!」
ってこう親父2に告げ口をするに違いない
まっ、いっかぁ、次からは堂々と支度できるしね
てな訳で今回の金時山登山は前日に
「明日金時山に登ってくる!」
って二人に宣言をした
ハイハイどうぞ!って呆れ顔の二人
親父2が驚かないところを見ると
やっぱり親父3の奴、早速告げ口をしたらしい

さて、そんな訳で今日は堂々と
胸を張って出発進行!なのである
7時15分大船発の東海道線に乗る予定
大船までは1時間まではかからないが
余裕を見て6時10分前に家を出た
外はもう4時には明るくなるこの頃である
6時にはすっかり明けきって
青空が気持ちよく広がっていた
1分程で車の通るバス通りに出るが
タクシーが来ない
5分以上まってやっと捕まった
交代で営業所に帰るのですが近場ですか?
「はい、上大岡の裏駅まで」
「いいですよ、どうぞ!」
って言葉に胸を撫で下ろした
タクシーが来ないので
5分程歩き出してから停めたので
上大岡までは660のワンメーターで行けた
交代時間でなかなか捕まらないのに
停まってくれたのが嬉しくって
千円札を一枚だして
これでいいですよ!ありがとう助かったわ
って運転手さんに礼を言う
「いいんですか?ありがとうございます!」
気をつけて行って来て下さい
と運転手さんも機嫌がいい

戸塚着6時20分
東海道線に乗り継いで
6時30分には大船駅に到着
リーダーも6時45分には到着
7時15分の電車に乗る筈だったけれど
一本早い電車に乗る
小田原に出て小田急に乗り換え湯本まで
湯本でもう一人同行する仲間と落ち合う予定だが
小田原でも予定より一本早い小田急に乗れた
湯本を出て7,8分経った頃携帯がなった
「何両目?」「ん?ええっと、2両目かなぁ?
「はい、判った!」って電話が切れた
1、2分で再度電話がなった
「2両目?」ってもう一度
そこではっと気づいた、彼は予定通りの電車で
我々は一列車早いのに乗ってるんだもの
2両目を捜しても居る訳が無い
相変わらずどじな私である

湯本で無事3人が合流
休祭日のみ朝2本しか出ないと云う
登山バスに乗り込み
乙女峠まで曲がりくねった道を上る
バスを降りたら、な、なんと!
真正面にどか〜んと大富士!
なだらかな裾野まで見えて雲一つない
綺麗に雪を被った富士である
何て!幸運なんだろう!
今日で良かった!
こんなに間近に壮大な富士を見たのは初めて
感動で体が震える思い
歓声をあげて、しばし呆然と眺めた後
一斉にカメラのシャッター切る
車を路肩に停めてカメラを向けている人もいた

さて、9時過ぎ、いよいよ登山開始
リーダーが先に立って登り始めた
5,6分は美しい富士を見た余韻が残っていて
こんな美しい富士に送られて登れるなんて!
勇んでリーダーに遅れじと足を運ぶ
10分も登った頃から何だか体に力が入らない
昨夜とその前の晩も緊張して殆ど眠っていないので
頭も少し痛い
登山は序盤戦もいいところである
自分が言い出してホップステップホップホップと
丁寧に段階を踏んで足慣らしをさせてくれたリーダーに
駄目かも?なんて云えない
自分が言い出した事だぞ!って
気合を入れながら何とかこ一時間耐えて
ほぼ中間の山小屋に着く
膝を痛めないようにと仲間がすすめて呉れて
買ったサポーターを両足きつく締めすぎて
足が曲がりにくくて
それが登りをきつくしていたみたい
50円也を払ってトイレを借りて
一旦サポーターを外した
足全体に血液が流れるのが判る
余程きつくしめつけていたらしい
程ってものを知らないのである
この山小屋からも美しい富士が又見え
登る途中でも右に左に
富士を見ながらの登山道である
コーヒーを注文して小休止
こんな山の中でちゃんとサイフォンで
出てきたのには驚いた

10時30分山小屋を出る
一気に山頂を目指ざそうと意気込む
頂上までは35分と標識にあった
後から来る人をお先にどうぞ!
何組も送った中にお父さんに手を引かれた
小さな女の子が
何歳?って聞いたら小さな手を広げて
5歳!って恥ずかしそうに笑った
えっ?5歳で?凄い!
こんなところでいい大人がバテテはいられない
随分と登って来たなと思った頃
山は急に下りになった
今まで登った分全部下ってしまうのでは?
って思う程下って、下って
「やだぁー!勿体無いよー。」
「どうしてくれるのさぁー!今まで登った分」
リーダーの背中に不満をぶつける
2度ばかり下って登ってを繰り返して
「ほら、あそこが金時山頂上!」
って指差す方を見ればまだ遥か彼方である
いつしか登りは不規則な石がごろごろ
両脇が断崖絶壁の道
高度恐怖症の私は仲間二人が淵を歩くのを
見ていられない
「駄目だってばぁー、もっと真ん中歩いてよ!」
って叱咤する
少々面白がってわざと端を歩いてるのかな?
脇の鎖や縄を伝って大きな石をこれでもかと思う程登った
[35分で登れるって標識は嘘だぁー」
って又叫ぶ私
ほら頂上のざわめきが聞こえるよ
もう少しさってリーダー
「嘘つきぃーっ!」って怒鳴り返す私
もうこれ以上駄目!っと思った時
頂上の旗が目に入った
着いた!やったぁー!頂上じゃん!
途端に元気が出て20段ほどの石の階段を
元気良く登りきる
バンザーイ!やったぁー!
山経験なんて何も無い癖にいきなり
登りたい!と閃いたとしか言いようの無い金時山!
そんな我儘な私の閃きに快く賛同して
同行してくれたリーダーとH氏
頂上では朝よりは少し裾野がかすんだ富士の姿が
この上も無い好天に恵まれた金時山登山
兎に角登れた!まだ下山があるから
半分成功!手打ちは早いのである
これにて往路の記は幕引き
下山の記は次なる日誌にておめもじ
小学生の作文のようなだらだらした文章を
読んで下さってありがとう!

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年4月12日


突然・・・山

ある日、突然ゴングが鳴った!
パソコンに嵌って10年
家に居れば必ずパソコンが立ち上がっていて
親父達が目の仇にするのも
無理ないかなぁって思うこの頃
そうだ!金時山に登ろう!
突拍子もなくそう思ったのである
山と言えば湯河原にある
南郷山(海抜600メートル)に
登った事があるだけ
歩きはシティーウォークで歩いた20キロが最高
これだけの前歴では1200メートルの
金時山には登れまい
平地じゃなくてアップダウンのある山道だもの
それでも何故だか「金時山」なのである
何かを実行しようと思う時の私は
これをやるよー!って
まず人に公言してしまうのである
つまり実行せざるを得ない
状態に自分を追い込む事から始める
何人かの人に「登る!」と告げた
じゃぁ案内役をするよ!って
云ってくれる友人がいた
でもね、いきなりは無理だから
ホップ、ステップ、ジャンプが必要だねって

さぁ、大変だ!装備なんて何も持ってない
ステッキ、トレッキングシューズ、リュック他
ステッキは友人がプレゼントして呉れた
バレンタインデーのお返しだよって
ふふっ・・これってもの凄いエビ鯛だなぁー
って思いながらもありがたく頂いちまいましたぁー
次の日、靴と登山用リュック、雨用の上下服
ぬかるんだ道を歩く時の足カバーも買った
家に帰ってリュックを背負って
トレッキングシューズに、ステッキも持って
玄関にある姿見の前でにんまり
気分は既に登山家である
あれだけ嫌いだったパンツルックもこの際
仕方ないかぁーって思う

さて、困った!リュックも靴もかさばるのである
親父達に見つかったら
えっ?そんなばあさんになってから山登り?
って顰蹙を買うに決まってる
何かをやりだすとすぐに夢中になる私を
一番知っている親父達である
放って置くと、何を始めるか解らない
って目を光らせているに違いない
靴は目の届かない高い棚の上に載せた
リュックにステッキを折りたたんでさして
仏間の目立たない隅っこに隠した
こんな時は整理整頓が行き届いていない我が家は
隅っこに物が増えても目立たなくて助かる

まずはホップで歩く鎌倉アルプスの日
リュックにおにぎりとペットボトル一本
装備を整えて、ベレー帽を被ればいっぱしの山女さ
不安と期待を胸に鎌倉駅をスタート
大塔の宮の脇から登山道に入る
僅か30分程でもう頂上に到着
ちょっぴり汗をかいた程度
頂上から富士山も見えるではないか!
お昼には少し早いけれど
峠の茶屋でおでんを注文して
おむすびをほうばる、具はたらこと梅干
もうここで今日の予定の半分は終わったと安堵して
ふーん、ホップは軽いじゃん!って思った
さて、腹ごしらえも済んだし後は下りかぁー
鎌倉カントリーの横を抜けて、東慶寺をめざす
意気揚々と午後のスタートである

30分で登った山だもん
30分で降りられると思うよねぇ?
ところが、下って登っての本格的な山道が出現
高低差の激しい足場の悪い階段を
下って登って、又登って
なんでぇー下山なのに登りがこんなにあるのよー
文句たらたらの私
こんなもんさぁーって笑い飛ばす相棒
結局1時間近く下って登って
行きは良いよい帰りは怖いの行程を何とかこなした
ここで弱音を吐いていては金時山なんで夢に終わっちまう
かくして第一段階のホップが無事終了である
家に帰っても親父達に山登ってきた!
とは云えないもんなぁ
済ました顔して夕食の支度して
疲れを悟られないようにおとなしく早めにベットにはいり
密かに、腰と足の裏にシップを貼った

つづく・・・・。

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成19年1月8日


節分によせて

鬼はぁ〜そとぉ〜、鬼はぁ〜そとぉ〜!
親父2が今年も亭主役である
「鬼はそとばかりやってないでさぁー
早く福わぁ〜うち!ってやってよ!
って私。どうせすぐ聞く耳じゃない事知ってたけど
リビングの窓から始めて
案の状、私の言葉なんて聞くものかは・・。
玄関に行って豆をまいて
リビングに戻るや否や
今度は二人が一緒に豆を抱えて
予定の行動とばかり
私のパソコン目掛けて勢い良く
豆を投げつけた
鬼はぁ〜そとぉっ!だっ!
って二人に3回づつも投げつけられて
やっと3度目に体をかぶせてパソコンを庇う
私とした事が去年もやられて悔しい思いしたのに
一年経てばすっかり忘れて
又パソコン開きっぱなしにしたまま
豆まきを始めてしまった
来年こそは私が豆を撒いて
二階の親父達の部屋に乱入して
それぞれのパソコンに投げつけてやるぞ!
って固く決心をしたのではありました
家に居ればいつだってパソコンにかじりついてる私を
常々面白くなく思っている彼女達ではあります

それにしても節分って余り嬉しくないね
私達の年代なんとなく満年齢と共に
数え年なんてものも数えて
正月が来たら、一つ年を重ねたって云ってしまうし
一ヶ月ちょっとで今度は節分がやって来て
豆を年齢+1個食べて
もう一度年取った気分にさせられちゃう
大体から私は大豆が余り好きじゃない
ましてや炒り豆は口の中で
ボソボソと一杯になって飲みこめやしない
年々増えていく豆の数を
憎らしげに睨みつけながら・・
早く食べてしまいたいので
お茶を横に置いて、いっきに噛み砕く
七草粥も11日の鏡開きの汁粉も
15日の小豆粥も大好きなのに
どうもこの節分だけは好きになれない
何だか義務感?だけで
まるで薬でも飲むような感覚

母がこんな年中行事をとても大切にしていたので
私も何となく親孝行のつもりもあり
ちゃんと通過しないと母が哀しむかも
なんてすべての行事が母に繋がっている気がする
昨日友人が言った言葉を思い出す
母親は代々、子や孫に受け継がれて行く事があって
折に触れて思い出して貰えるけれど
父親なんて死んだら何も残りやしない
そんな事無いよなぁと思いながらも
すぐには反論出来ないでいる私
母のやる事を一杯受け継いでやっている
自分を納得したからである
長男に嫁せば、そこの家のしきたりを守って
姑のやり方を引き継いで行くのだろうけど
我が家は次男坊ですんなりと
私の実家風を受け入れて貰えたので
正月の雑煮以外は殆どが実家風
一人息子に嫁した、私の長女はどうなのかな?
嫁に行ったらあちらの両親に可愛がって貰えばいいとばかり
殆ど彼女の生活には干渉もしないし
普通のババのように孫達の元にせっせと通う私でもない
まっ!私のやり方を引き継いで貰おうとも
思っては居ないし彼女風を作り出してくれればいいと思っている
私が反面教師になってる部分も沢山あるだろうし
私も母への郷愁とは別にこの部分だけは
母のようになりたくない!
と思って、自分流を通した事もある

さて、話を戻して父親が子供に残すもの?
これもやはり一杯あるように思う
代々引き継いで行くものでは無くとも
一旦緩急あらば家族の盾となり
家族の生活の為に自分の思いを80%位で
断念しなければならなかった事だって
子供達が大人になれば自然と知る事となるだろうし
特に父親を早く亡くした我が家の親父達は
父親は英雄なのであります
私がどれだけ頑張って父親役をやってみても
追い越せない
「パパはあの時こう云ったよねぇ」って
この間も長女が懐かしそうに話した
長女が大学に進む時、本命の大学は落ちたものの
2校に合格し、遠いけれどネームバリューから云えば
誰もがそちらに行けと云うだろうと思ったのに
自分の行きたいと思う方を自身で選べ!と云った夫
見栄や体裁で物事を判断する事は無い
と言葉にはしなかったけれど、娘に無言で教えたのだと思う
周囲の反対を押しのけて、ネームバリューのある方の
大学を捨てた。勿論私も彼女の選択に同意した
長女が大学4年生の時夫は急逝したが
その後、親父2、親父3の大学受験の時も
選択は彼女達に任せ、私が何処の大学を受けたら?
と云う事は無く、彼女達が自分の納得した人生を選んで
あの時自分ではこう思ったのになんて事の
無い人生を歩んで欲しいと思っている
これは私も夫から学んだ事であった
夫の力?男親の役割は
目に見えぬ心の中の支えとなって
生涯、妻の、子供の心の中に生きつづけ
子育てにも影響を与える存在なのだと思う
世の夫諸君!自信を持って
雄雄しく突き進んでくださりませ
やっぱり男は偉い!のでありまする
これは22年間父親役も母親役も共にやろうとし
実感した私の実体験でもあるのです。

平成19年1月8日


今年もよろしくです!

さあ!今年も心新たにスタート
って意気込んだ筈なのに
松が取れても元気がでな〜い!
暮から忙しすぎたせいかな?
なんて自分で一生懸命理由を探して
結局はこの年になれば、こんなもんさ!
なんて勝手に決める
東京の姉から電話
目黒に住む従兄弟が昨年暮に入院し
手術をしたのだけれど意識不明の危篤だと言う
私は3女なので姉達のように
従兄弟同士の密な付き合いは無いけれど
亡父に一番似ている人だから
って淋しそうな声を出す姉
皆似たり寄ったりの年齢だもの
もう誰に何があっても不思議じゃないよね
なんて又淋しい話をしてしまう

暗い話をえいやっ!って振り払って
成人式の今日、
午後になって思い立って
今年、初めてカメラを持って外に飛び出した
荒天の翌日は素晴らしい夕陽に出会える!
って聞いていたので
買ったばかりの赤外線入りのハイソックスを穿いて
黒のコーデュロイのズボンに
ダウンのコートを着込む
寒さ対策は万全!
目的地はやっぱり江ノ島海岸かなぁ
ってなんとなく決めて
磯子行きのバスに飛び乗った
磯子から大船に出て
大船からモノレールで行こう!

磯子から根岸線に乗ったら向かい側に
成人式帰りの晴れ着姿の女の子が3人
着物の色こそ違うけれど
同じような白いストールをして
黄色い声で話してる
流行とは云え個性が無い
賑やかな車両に乗ってしまったけど
まっ!いっかぁ!若者観察だ!
斜め向かいの席に座って
見れば一人は肘を出して頬杖をつき
真ん中の一人は足を組み腕組みまでしてる
もう一人はややまともかな?って思ったら?
足を折り曲げないで前に伸ばしてる
着物が台無しだよー
発車間際になって
今度は若いカップルが飛び乗って来て
席が空いているのにドアーのところに立った
立ったと云うより彼女の方は
体を斜めにして彼氏にもたれ掛かり
彼氏は片手で彼女を抱き寄せ
もう片方の手で彼女の頭を撫ぜてる
撫ぜながらも気になるらしく
視線は着物姿の3人に
その目線を目ざとく見つけた彼女
するりと体をかわし
彼氏に背を向けさせる
どんな展開になるのかなぁ?
野次馬をしていたら
次の駅で成人組もカップルも下車しちゃった
隣に座ってたおじさんも
向かいの席のおじいさんも
苦虫を噛み潰したような顔して見てたのに
下車しちゃったら少々残念そうな顔
ふふふ・・・・

大船からのモノレールは満員
途中下車する人も少ない
こんな時間から江ノ島へ行く人居るんだぁ
って自分だって行く癖にねぇ
モノレールで行くと降りてから海岸まで
10分程歩く
頭の上に真っ黒な雲が張り出して
ポツリポツリと大粒の雨
でも夕陽の沈む方向は晴れてる
やがて雨は大粒の霙にかわり
コートに白くぶつかっては溶けて行く
雲の行く逆に逆にと方向をとって歩いて行くと
どうやら雪雲から抜け出せたみたい
時計を見たら4時過ぎ、丁度良い時間かな?
真冬だと云うのに波間にはまだサーファーが何人か
荒れた海で波乗りをしている
雲の淵を茜色に染めて陽が沈む!
写真を撮るようになって知った感動的な瞬間
沈みだすと目に見えて
丸い太陽の下がかけて行き
頭をほんの少し残したかと思ったら
瞬く間に山の向こうに落ちた
素晴らしい光景に寒さも忘れて
沈んだ後もしばし立ち尽くす
さぁー帰るか!って
自分に言って聞かせないと踵を返せない

いつもの通り帰りは小田急で藤沢に出て
東海道線で戸塚に出て
無料パスを有効に使って
地下鉄で弘明寺に出る
今日は親父達は二人とも飲みに行って
夕食要らないって云ってたし
早く帰ってもつまらない
よし!弘明寺の尾張屋さんで
天丼食べて帰ろう!
長女の幼稚園の同級生のお母さんがやってる店
店に入るとお運びさんは娘の同級生
小さい頃の面影がそのまま
声をかけようかと思ったけれど
止めて「天丼お願いします」
5,6分もすると運ばれてきた天丼を
黙って食べて
レジで代金を払おうとしたら
お顔に覚えがあるのですが
いつもありがとうございます
って女将さん
はい、お嬢さんと長女が幼稚園でご一緒でした
○○○○○って云いますけれど
って云ったら、我が家の娘の名前は少し変っているので
あらぁー!覚えてますぅって
お客が他に居なかったので
当時を懐かしんで暫く話し込んで
あの頃は私も若かったし
着せ替え人形のように娘に色々な服を
手作りで着せたっけ?
なんてあの頃の娘が目の前に居るようで
ちょっと若やいだ気分になれて
今年初めてのカメラ道中は終ったのでありました

平成18年12月26日


年の瀬

少し休め!と言ってくれているのか
今日は朝から激しい冬の雨
いつも何日頃から初めていたのかな?
って思う暮れの大掃除
今年は今日で4日め?
どうやらいつもの年よりも早いらしい
一昨日外で網戸洗ってたら
お隣の奥様に「えっ?もう大掃除始めたの?」
って云われて
ほんじゃぁー、いつもより早いんだぁー
って思ったりして
体が鈍くなった分無意識の内に早まってるらしい

今年一年は振り返る暇も無い程
忙しく過ぎ去って行き
あっと云う間に、今年も後5日
来年の抱負なんて言っても、私には
果たして元気な1年が又あるのかなぁー?
って思うこの頃
『サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ!』
と我々の世代に新風を吹き込んでくれた
青島幸雄さんが亡くなったと聞いて
妙にショックを受けた私
我々の世代が段々消えていく
移り変わりは世の常で
いつかは忘れられて行くのだろうけれども
まだ、覚悟が足りないんだよね
まあ、とか何とか云いながら
又頑張ってしまうのが
苦しい時代を乗り越えて来た我々世代

一夜明けて、ぽかぽか陽気の朝
半袖姿も勇ましく
長い枝切り鋏を持って庭に出た
と言ってもせま〜い庭ですけれどね
まずはフェンスの外に張り出した枝きり
そして今年も又増えてしまったすすき
これは根っこから取れないから
丁寧に刈り取って行く
山椒の木の枝掃い
ぐみの木の長く伸びた枝切り
ムクゲも小さく切り揃えた
次は垂れ下がった蔦を切り落とし
生垣のロビンの飛び出た枝を掃った
掃った枝を片付けていると
通りがかりの人が
頑張ってますねぇー
って声をかけて行ってくれる
何でもない一言だけれど
こんな一言が嬉しいんだよねぇ
それに、それに、去年、一昨年は
シルバーセンターにお願いしてやって貰ってた
この仕事
自分でやっちまったもんなぁー
切り落とした枝を紐で束ねて
切り落とした葉っぱをビニル袋に入れて
母は頑張ってるんだっ!
って親父達が帰宅の時、目が行くように
これ見よがしに玄関先に置いた
私が居なかったらどうやて年越すんだ!
ってまだ言えるかなぁ?
今年は二人とも29日まで勤務だと言う
二日間で自分達の部屋綺麗に出来るのか?
って思うけれど
手なんてだすものかっ!
終って日本茶の美味しいのを入れて
そうだ、先日姉に貰った
出雲、桂月堂の薄小倉があったって
思い出して一息ついた
暮の二日間ではありました
今年は大事なく過ぎて
ちょっぴり前進の年となったかな?
来年もせめて
後退の無い年にしたいと願い
一年の家族の無事を感謝
HPも5年目を迎えた
今年一年も多くの方々に支えられて
更新し続けられたHP
本当にありがとうございました
少しづつ景気も回復の兆し
皆さま良いお年をお迎え下さいませ

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成18年10月27日


古稀=黄昏?

人生50年なんて詠われた織田信長の時代
昭和に入ってからだって
村の渡しの船頭さんは「今年60のおじいさん」♪〜
なぁ〜んて歌われてさ
なぁ〜に言ってんの
今時の60代なんて老人じゃない
まだまだ何か出来る年齢だって私は思う
でもなぁー、私はと言えば
とうとう古来稀なりと言われる年に
突入しちまいました
ちょっとショックで凹むのかなぁ?って思ったら
バスと地下鉄のフリーパス貰って
ちょっぴりご機嫌で、出かける回数も倍増
最初の2,3日は出すのが恥ずかしかったけど
何さ、自意識過剰だよ!って悟って
近頃は堂々と見せて、卑屈にならない程度に
ただで乗せてもらう感謝の気持ちで
笑顔で目礼をして乗り込む
70歳なんてこんなもんかぁーって感じ
とは言うものの、人生の終わりに
段々近づきつつあるのかなぁーって
しんみり考える事だってある
確かに、たしかにこれだけの年は生きて来たんだもの
体はそれだけ分磨り減っているよね
最近、年なんだからもう少しスローダウンしたら
なんて周りの人たちに言われるけれど
自分をこき使い続けて来た私は
逆走したくなるのよね
年に負けて萎んでなんて居られないって思う
道を歩く時は出来るだけ胸を張って
背筋を伸ばして歩く
道路に線でも入っていたら
この一本の上を外れずに歩くんだ!
なぁんて、人は無駄な抵抗だって言うだろうけど
頑張って突っ張って、粋がって生きている
頑張るなんて言葉を出すな
もう頑張ったところで大した事ないじゃないかって?
ふふっ!元来がなまくらだから
いつも自分に発破かけてないとね
グータラになんてすぐにでもなれるもん
でもグータラの出来る人は
金銭的にも余裕のある人かもなぁー
暇が出来るといつまで経済もつ?
なんて考えちゃうもん
考え出したらさむ〜くなるから
だから動いて、体疲れさせて
思考をとめる

私の親の代の70歳なら
毎日お茶飲んで、老人クラブに参加して
ゲートボールでもやって
家事は若い人にお任せねって
おおっぴらにご隠居できただろうに
私は相変わらず子供達の夕食の準備からは
完全には開放されないし
大きな部分ではまだ私が生活支えてる
今月から元のパソコン関係の仕事に転職した親父2
これでやっと早めの夕食時間に戻れる
って思ったのは最初の1週間だけ
翌週から、毎日のように残業の末の飲み会
今週は一日しか家でご飯食べない
昨日の夕方メールが入って
今日も明日も夕食要りませ〜ん
なぁんて二日分のキャンセル
その日毎にメール送ると目だって困る
って考えたんだろうね
12時を過ぎてから二人のお弁当のおかずを作って
一人分づつ小さなお皿に分けて盛って
朝起きたら詰めれば良いように準備をしながら
なぁ〜んて甘い母親なんだろうって
反省する毎日ではあります
昨日帰宅した親父2に
「そんなに毎日飲んで帰って来るなら
私がキッチンドリンカーになってやるんだから!」
ってやおらジンロのお湯割りを作って
ゴクンって目の前で飲んだら
「馬鹿だねぇ。キッチンドリンカーじゃなくって
それも言うなら
キッチンドランカーなんだよーてばぁ」
悔しいーっ!

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平成18年9月15日


ちょっぴり憂鬱

寝そびれてサワーを一缶飲んだ
体の中で少し酔いが回っている感じ
何だか小さなストレスが束になって又やってきて
私を悩ませている
もう好きな事だけやっていればいいじゃないか!
って私の心が叫ぶ
嫌な事はもう全部やめちまえっ!
とも
でも、もう一つの心が叫ぶ
お前は敗北者になりたいのか?って
NHKでモンゴルの音楽と映像が3時過ぎから
1時間以上放映してる
こんな自然の中に身を置いてみたい
なんて思うけれど
実際の生活はかなり厳しくって
化学文明に毒されて生き続けている私に
我慢できる筈ないのに
人間は時として異次元の世界に飛んで行きたくなるよね?

仕事をしている訳じゃないから
殆どの事から逃げ出そうと思えば出来るのに
逃げ出した後の空虚感が判るから
敗北感を味わいたくないから
こうして同じところに身を置いているのかな?
何度もこんなジレンマを感じて
それでも短気を起さなくって良かった
って結果として思える事が多いし
一旦リセットしたって
私の事だから又新しい事に首を突っ込むに決まってる
人間の優しさを信じたいから
又小さな山をなんとか一つづづ越えるのかな?
疲れが溜まるといつもこんな思考を繰返す
ひがな日向ぼっこして暮らす
なんて事私に出来っこないのにねぇ
人よりも少しは余分に生きて来たのだから
もっと優しくなろう!
自分の出来ない事をやって呉れる人に
感謝と尊敬の念を忘れずに
自分の出来る小さな事をコツコツと
精神誠意やり続けて行こう
4時半を回った、間もなく夜が明ける
明日を信じて、生きるか!
なんておおげさ?
少々自信喪失で〜す
暫くぶりにやって来たマイナスモード
明日は野毛山動物園にでも行ってみるかな?

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成18年8月6日


22年目突入

今年も暑い8月4日がやってきた
22年目の半人前生活に突入である
今の私には21年前のあの暑い夏に流した
涙の陰さえ、見えないのかな?
貴女のように幸せに暮らして来た人に
私の苦労なんて判らない
なんて言った人がいた
苦労しましたって顔に書いて
暮らす事ないもんね
少しばかりの苦労があったにしても
それを売り物にして暮らしたくはないし
幸せ一杯でここまで来たと人に
言われれば大成功の半人前生活21年
バックミュージックを聞きながら
久しぶりの日誌書いてたら
不覚にも涙が溢れて来ちまったぁー
懐かしさに胸キューンってところかな?
今居たら腕組んで歩くのになぁ!
ほら、しっかりって後ろから後押しだって・・。
忘れる事は無いから思い出す事も無いと言う
言葉は当たってると思うけど
父親を失った時まだ小学生だった親父3が
こと細かに思い出話などを語ると
その頃に戻って頭を撫ぜてやりたい衝動に駆られる
あの時、淋しい思いをしてた子ども達を
抱きしめてやれる余裕が私にあったかなぁ?
って思うから

6年付き合って、4年目の秋
僕のベターハーフになってくれって
プロポーズされたけど
半分になんてなれないよー
って即座に答えた私に
そんな君が可愛いなぁ〜んて言ってくれたっけ?
ノロケ過ぎだって?<(_ _;)>”ゴカンベンヲ
その頃はこんなにぶっとくは無く
どちらかと言うと細い方で
少しは可愛げがありましたさぁ?
結婚生活22年、やっぱり半分には
なれてなかったよなぁー
一人になって、少しはしっかりして
やっと半分になれたかな?
後の半分は親父達が足してくれてるんだね
憎らしい程偉そうな口をきくけど
毎年8月4日が来ると親父達は
黙っていても有給休暇を取り
墓参りに揃って出かける
孫達もかけつけ会った事の無い
もう一人のお爺ちゃんに
神妙な顔をして手をあわせている
私と夫がめぐり合ったから
今ここに居る皆が居る
墓前に今年も「ありがとう!」
貴方が居たお陰で今皆がこうやって
幸せ感じて生きています
と頭を下げる、21年
さぁー!又来年のこの日に
胸を張って、幸せですと言えるように
一生懸命生きよう!

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成18年6月22日


耳鳴り

ドッキン・・ドッキン・・ドッキン・・
ん?何?外?ん?違う!私の耳の中の音だ
耳の中から心臓の鼓動の音が聴こえる!
驚いて、ベットの上に座り込んだ
時計を見たら午前3時
座っても立っても耳の音は消えない
こんな事は始めて
心臓がいきなり停止するのではないか?
このまま朝起きたら死んでた?
なんて事があるかも?
兎に角立ち上がって隣の親父2の部屋をノックする
返事はないけどドアーを開けて
「ねぇー」って声をかけたら薄目を開いた親父2
「何だか耳から動悸音が聞こえて変なの」
「朝起きたら兎に角、私の部屋覗いて見て」
「死んでるかも知れない」と付け加えたかったけど
言葉を飲み込んだ
親父2は特に驚いた風もなく「うん」
なんて小さく頷いて
心配して起き上がる風も無い
「まったく冷たいんだからぁー」
「こんな時、誰も心配してくれない!」と少々ふてて
又自室のベットに両手を広げて倒れこんだ
まだまだ生きてやりたい事一杯あるよなぁー
こんな風にいきなり
死と言う奴はやって来るのかも知れない
なんて自分で最悪の筋書きを考えたりして
結局動悸も治まらず眠れぬまま
何とか生きて朝を迎えた
ん?大袈裟だって?
でも私は大真面目に死を意識したんだから

朝、7時、動悸音はまだ治まらないけれど
兎に角、リビングのパソコンの前に座れて
○(^-^)o イエイ♪何とか無事又愛機に再会、ホッ!
それにしても心配して早起きして来るでも無い親父2奴!
2階からどんな顔して降りて来るんだろう?
って手ぐすねひいて?待ってる私
動悸音は起きて1時間程でやっととまった
8時頃になってやっとのそのそと階下に降りてきた親父2
私の顔を見てもなぁ〜んのリアクションも無し
「何さ!夜中に耳から動悸音が聞こえる!」って
「訴えに行ったのにぃー!」
「耳から動悸音なんて私だって寝てる時、聴こえる時あるさ!」
「起きてからだって続いてたんだい!」
「じゃぁー医者に行って来なさいよっ!」
寝起きはいつも不機嫌な親父2だけど
私にしては、今日は絶対に言って置かなければ
いけない事があるのである
「自分でもいつの間にかこんな年になったのが不思議だけどさ」
「この年になったら何時何があってもおかしく無いのよ」
「ちょっとここに座って!」
「あなた達に残す程のものは無いけどさ」
「それでも、知らせておかなければいけない
ものの場所位いくつかあるのさぁ」
「知ってる?言ってごらん!」
「知ってるよ!」って親父2
スラスラってぜ〜ん言ってのけたのさ
「・・・・・」私無言
食事の時の会話の中で言った事はあったけど
「ハイ、ハイ、ハイ」ってな感じで
真剣に聴いているとは思えなかったのに
しっかり頭の中に入ってる
それを知って安心しなければいけない私なのに
多少のショックを受けたのではありました
ん?子供達はそろそろそんな覚悟はしてるのかな?

親に取っては子供は幾つになってもやはり子供で
いつも余分な心配をしては
心配してくれる親が居るのだから
ありがたいと思いなさい!
なんて言葉発しては
まだまだ私がいなきゃぁ駄目さぁー
なんて自己満足するのだけれど
親の威力?はもうすっかり低下してるのか?
子供の心配するより、自分で楽しんで生きなきゃぁ損か?
なんて、子供の事知らん振りなんて
出来ない癖に・・・・。
不惑の年を通り越して
ちょっぴり寂しいのであります

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成18年5月31日


ご無沙汰です

いつの間にか2ヶ月以上のご無沙汰ですぅ。
一人で忙しがってるだけだと友人に言われた事があったけど
貧乏性で忙しく動いていると安心なところあるかもね?
だって暇が出来たら碌な事考えないもの
「小人閑居して不善をなす」って言葉だってある
自室でお茶をたてて上品に楽しむなんて柄じゃないし
家にいると親父達の顰蹙を買う程
パソコンの前から離れない自分が居て
これでは目方もうなぎ登りになって当たり前さ
よし!外に出よう!って事になる
結果?痩せたかって?
ふふっ!そこんところは何とも・・・・。
深く追求しないでくださりませな

何もやらないでストレス背負うより
何かに挑戦してみて背負うストレスの方が
一つずつクリアーしていける楽しみが加わっていい!
もっとも最近は計画倒れの事が多くって
目標はあっても体の重さに正比例して前に進まないのが悲しい!
カメラをマニュアルで撮りだしてやっと1年が過ぎた
年4回のクラブ例会に提出する写真を撮るのに四苦八苦の1年
覚えの悪い弟子を抱えた師匠はもっと大変よね
自分の作品を生み出しつつ
弟子の作品の指導しなきゃぁならないんだもん
しかも無報酬でさ、その内放り出されちゃうかもなぁー
先月の例会で10月の作品展に出す写真3枚が仮決定して
兎に角一つストレスがふっとんだ
これも師匠のアドバイスのお陰
ん?ここでゴマ擂ってるって、(o^v^o) えっへへ
本心ですってばぁー!

被写体を素直に撮ってなくって
見ていてちっとも面白くないって言うメールをくれた方がいて
でも、素直に目に映る被写体ならば写真にしなくても
肉眼でその景色や花を楽しんだ方が数段きれい!
なんて反論したくなる
目にはすぐに飛び込んで来ないものを
探し出せた時に例えば、花への関心が高まるって事がある
日々の自然の変化に目を向けるようになってから
自分の世界が少しずつ変わりつつある近頃
夕方の雲を見、うっすらと空に浮かんだ月に感動し
今日の江ノ島海岸の日暮れは素晴らしいだろうなぁ!
って瞼にその情景を思い浮かべる
猫の額のような我が家の庭の木々にも
面白い陽の陰影が無いかなぁ?
なんて探している自分がいて
少し心豊かになれたかなぁって自己満足の世界
そんな中3年間ブランクだった詩吟の稽古に復帰した
写真で足で歩いて、吟でお腹から声を出して
家族が皆健康で平凡な幸せ少し感じられたら私の人生最高!

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成18年3月22日


彼岸

彼岸の入りが同窓会で
前日に墓参を済ましておけばよかったのに
結局入りを二日も過ぎてしまって
20日にやっと我が家の墓へ参った
13回忌までは命日には欠かさず行った墓参り
近頃は命日を一日過ぎてから
あれ?昨日命日だったぁーなんて気づく
21年前には考えられなかった事だけど
守られて生きて来たのに、撥があたりそう
日にちを忘れる程、元気で飛び回っているって事になるかな?
女が生き残ると元気で長生きするもんだよなぁ
なんて何度言われただろう?
あたかも女性は図々しいと言われてるみたいで
憤慨したものだったけれど
最近はそんな言葉もさらっと聞き流せるようになって
本当に女は図太いのかもなぁ?
なんて思う事ある
強そうで弱いところもあって
弱そうで強いところあるもんなぁー
土壇場に来ると火事場の馬鹿力が出る
そんな事も何度かあったのも事実
感動しては泣き、哀しい話を聞いては泣き
それでも泣きながら長生きしてる?
涙を流せば流す程女性は強くなるのかな?

墓につくとまず2千円払って
桶に入った一対の花と線香2把を貰う
お寺の中の墓地だけれど
ひな壇の見晴らしが良い場所がいいだろうと
マンションの階数で言えば
3階に相当する場所を20年前に購入した
当時は若かったから苦も無く上った階段
近頃は水桶と箒、ちりとりを持って上がるのが
少しきつくなって来た
この先もっと長生きしたら大変だろうな
なんて今頃になって思う
ともあれ階段を3階?まで上がって
墓石をピカピカに磨くのである
掃除をし終わって
少し体を退いて両となりの墓と
見比べてみて
うん!うちのが断然綺麗!
って自己満足をしてから
おもむろに手をあわせて、まず
お陰さまで家族皆元気でいます
いつも守ってくれて本当にありがとう!
って深々と頭を下げる
周りにお参りの人がいなければ
般若心経をあげて来る
私自身は墓は無くても良いと思っているほうで
私の没後に子供達にどう守ってくれ
とは言わないつもり
私の元気な間だけ私の思いで参る
春の彼岸の墓参は丁度陽気も良い時期だからか
帰りは足取りも軽くルンルン気分
墓にしゃがみこんで涙した
あの頃の殊勝な私は何処に行ったのだろう?
瀬戸内寂聴さんの
「神は年月が悲しみを和らげてくれる力を
人間に等しくお与えになった」
と言う言葉が、今実感としてわかる

私が身罷る時は冥土の入り口まで
連れ合いが迎えに来てくれるものと思ってたけど
夢の中では彼は若い時に戻り
ヨーロッパ系の美人のガールフレンドと幸せそうだった
私の事なんてとっくに忘れてるかもなぁ?
一度冥土の入り口まで行き生還した人の話を聞くと
三途の川の向こうで両親が手招きしてた
って話が多い
人間は血縁に始まり又血縁に戻るのかな?
人生の限りを意識するようになった近頃
変な事が気になりだした。

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成18年3月8日


片翼の白鳥(上野忍ばずの池)

暖かな土曜日、お茶の水駅を発し、
湯島天神、東大赤門、上野動物園と
カメラをぶら下げて歩いた
暖かな一日で歩いていると汗ばむ程の陽気
独身時代通勤で毎日乗降していた駅
御茶ノ水駅舎は当時をそのまま留めていて感動したものの
一歩外に出るとまるで違った風情
当時は駅至近の大きなビルと言えば
大日本印刷のビルだけだったのに
大きなビルが立ち並び、昔の面影は無い
ニコライ堂だけが以前と少しも変わらぬ姿で迎えてくれた
そのまま踵を返して反対方向に上り
ひじり橋を渡って梅を写そうと湯島天神を目指す
丁度梅祭りの最中の土曜日とあって
境内は人で賑わっていて、人混みの中
落ち着いてシャッターを押せる雰囲気ではない
外舞台では吟詠会をやっていて
懐かしい漢詩「本能寺 溝は幾堰ぞ」の吟詠に
暫し耳を傾けた、多分岳風流の流れを汲む流派
以前習っていた節調とほぼ同じで
嬉しくなり思わずハモって見る
「我 大事をなすは 今夕にあり」
2年間ブランクが空いたけれど今年は又稽古を
復活させるかな?って考え中

東大赤門へ行くも、折り悪く入試実施日で
証明のある人しか入れてくれない
仕方なく裏側に回り東大病院の門から
どうにか敷地内に入り、安田講堂を斜めに見て
お昼時を過ぎていたので学生食堂へ
ところがここも今日は阻止
本日は終了しましたとの張り紙
今日はついてないねって
空腹のまま校内を忍ばずの池方向へ抜ける
抜けたところに小さなホテルがあり
ん?ランチ?あるじゃん!
サンドイッチ程度しか無いけれど
1,200円程でまぁまぁ適当な値段?
ドアーを開けて入る
外からみるよりも遥かに狭い場所で
カウンター席が一つか二つ空いてる程度
大分歩いてくたびれているので
ゆっくり座れるところがいい
ここも諦めて忍ばずの池方向に歩く
上野動物園なんて何十年ぶりに来ただろう?
上野公園まで来て桜を眺めて
動物園の入り口付近に目をやった事はあったけど
入ろうとは思わなかったのに
今日は違う!上野公園には用は無いのである
目的は上野動物園の愛嬌者のゴリちゃんに会う為である
おまけにこのゴリちゃんはぎっちょなのである
じっくりぎっちょの証明を見ずには帰れないのである

兎に角入り口のすぐそばの食堂に入って
腹ごしらえ、カツカレーを頼んだ
決してお腹が空いていたからではなく
贔屓目なしで美味しかったのだぁ!
食後はまずフラミンゴから
狭いところにひしめきあっている感じ
千葉の広々とした鴨川シーワールド?で
乱舞を見せるフラミンゴと比べたら
なんとこの子たちは4畳半鳥生を生きているのだろう?
鳥も人間にも生活に格差あるんだね
狭いところで暮らすと短気になるらしくって
体がぶつかれば嘴をつつきあい甲高い声を上げる
網の目をくぐって餌を横取りに来るスズメ
ふと横をみればなんとまぁー我関せず顔のハシビロコウが
素っ頓狂で度迫力のある目と嘴をむける
公園の番人?ふふっ・・。お巡りさんみたい!


はい!お待たせです。やっと題名の白鳥の話です
ぎっちょの話は前置きが長いのが特徴?
忍ばすの池に白鳥?丹頂鶴?コウノトリ?がいるのです
ぽかぽかと暖かな春の陽射しを受けて
北に帰る様子もなく
先日千葉の本埜村で写せなかった白鳥が
目の前に三羽まるで入場者にサービスをするよう・・。
カメラを構えた人達が根気よく羽根を広げてくれるのを待つ
もちろん私も遅れをとらじとカメラ構えて
あっ!開いた!「撮ったよー」って
叫んだけど?ん?何かが違うぞ!
見事に開いた羽根は片翼が?
傷ついた白鳥を治療をして保護しているの?
それにしても白鳥3羽、こうのとり、丹頂鶴までもが?
これは事故ではなく無理やり切り取ったのかな?
もしそうだとしたらひどい事をする!
故郷に帰る事も出来ず飛べないこれらの白鳥他の鳥達は
極暑の中もこの池で一年を通して暮らしてるのかな?
この地の名物にする為に羽根を切ったのであって欲しくない

そんな事に義憤を感じつつも
階段を登ってゴリちゃんの居住地に向かう
動物園に来てゴリラをじっくり見るなんて事なかったのに
昨年師匠のHPで見たゴリちゃんの、あの拗ねた顔が忘れられない
ここはフラミンゴからすれば余裕の広さ
厚いガラス越しにしか見られないのが残念
4,5頭のゴリラがいるのに
それぞれ退屈そうな顔をして柱にもたれてたり
じっと後ろ向きで物思いに耽ってたり?
猿のようにグルーミングはしないのかなぁ?
結局一頭のゴリラをガラスにへばりついて観察
なんだかものぐさそうな顔してさ!
もっと覇気のあるところを見せなよ!
って思ったのにカメラに収めたゴリちゃんの顔は
意外と精悍な顔つき(目)をしてるのです
「ゴリちゃんの孤独」として
折りたたみスライドショーで載せたので
ゴリちゃん物語はそちらの方でご覧のほどを
この年になって孫も連れずに動物園へ来るとは
思っていなかったけど
これに味をしめて野毛山動物園にも
行って来るかなぁ?
このごりちゃんはぎっちょだし
はなぺちゃだし、ごついし
どこかぎっちょに似てるぞ!って?
いいんだよー!ただ今、人間ぎっちょ奴は痩身努力中
すっきりしなやかになるさ?

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平成18年2月4日


節約

私はどうも昔の悪癖がついていて
節約が苦手なのである
主人曰く、10円安いからと遠くまで足を運んで
使う時間を仕事に使った方が効果的
例えば時給○○円を稼ぐ人が買物の為に1時間を
潰したらマイナスは大きい
主婦専業ならば話は違うが・・・
なんて持論に便乗?して
買物は当時事務所から2分のところにあった
マルエツへ、お昼の時間に走り買う
ある程度今日の特売品とかを見ては買っていたけど
一体マヨネーズが一本幾らなのか?
ケチャップが幾らなのか?
専業主婦になった現在も知らないまま
特価と書いてあれば普通より安いんだ!
って調子である
てな訳で近頃は子供達に
我が家は節約するところ一杯ある
なんて偉そうに言われてしまう
悔しいけれど言い返せない!

朝風呂に入ろうと風呂の2度沸かしをし
浸かろうと思ったら湯船の中に洗濯機のホースが!
親父2の仕業である
親父2は自分の洗濯物は
休日までためて置いてやるので私が洗う事はない
いつも風呂の残り湯を吸い上げて
洗いにしっかり使う
ふ〜ん!っていつも見て居ながらも
私は一度もやった事が無いかな?
足を入れようとして「しまった!」と思っても遅い!
案の状、湯は吸い上げられて
湯船の半分までしかない
えいっ!できるだけ体を平たく
寝っころがって入ればいいやって
湯船に飛び込んだらすってんころりん
大きなペットボトルが3本に増えてたさ
昨年暮にお風呂場を改装して
風呂桶が長くなった分落とす湯の量も増え
ガス代も水道代も二割がた高くなった
それをこの間ぼやいたら
お湯の設定量を減らされちまって
湯船の3分の2位で止まってしまう
水道代とガス代高い!
って親父達に文句を言った結果が
湯量が減り、大きなペットボトルが3本も
湯船の中で浮かぶようになっちまった
お風呂タイムは私の一日の至福の時間なのになぁ!
って思いながらも、親父達もやりおるわい!
ってちょっぴり苦笑い
偶には内緒でペットボトル浴槽の外に出して
湯船から溢れる位お湯張ってさ
入ってるのを親父達は知らないね
そんな事でとっても贅沢した気分になれる
ふふっ!妙な制限が加わるのも
こうなれば悪くないかな?

にやにや笑いながらこの日誌を書いてたら
当の親父2がリビングに入ってきた
「何一人でにやにやしてるのさ!」って
ん?だってさお風呂のペットボトルで
すってんころりんしちゃったもん
だから危なくないように
水を口までいれないで空気入れてあるでしょう?
ん?ん?そうだ!どうせ入れるなら
何故しっかり口まで入れないのさぁー
口までしっかり水を入れたのは私だったさ
「馬鹿だねぇ。ちゃんと危なくないように考えて
やってるのにさ、しかも乳白色の入浴剤
入れちゃうから余計判らなくなるじゃない!」
「風呂場に緊急用のベルつけて上げようか」なんて
いつから私はこんな形無しになったんだ?
主従逆転しつつある昨今
もっと威厳もたなきゃぁなぁー
「私に家計任せたらもっと節約して見せるさ!」
なんて偉そうにも言われたしさ
も一つおまけに仕事でかけに
ちゃんと時々窓あけて喚起しなさいよ!てさ
昨夜遅く、リビングで頭締め付けられるように痛い!
って言ったら「喚起不足でしょう?」って
気持ち悪くなってさっき胃薬まで飲んだ
確かに窓開けて10分程したら
頭痛はへっこんじまって
胃もすっきり!
私の負けか?悔しい!
よし!明日から完璧主婦やってやるんだから!

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平成18年1月18日


湘南の海に魅せられて

予報は午後から雲が出ると言ってたけど
午前中は抜けるような青空
よしっ!とカメラと一脚を持って飛び出した
カメラの入る大きなショルダーバックを肩から提げて
カメラを首からかけ、一脚を持てば
気分は、いっぱしのカメラウーマン気取りである
ロングスカートの裾を翻して
磯子駅の階段をホイホイと駆け上がる
身は重いけど、まだ階段位駆け上がれる
いつもは、今日こそ飛び出すぞ!
って思いながら途中で気持ちが萎えてしまうのに
今日は思い切って飛び出せた
それが、とても嬉しくって、足取りも軽い
おまけに師匠は今日はゴルフ
ふふっ!抜け駆けしていい夕陽撮って来るんだ!

まず大船に出て
湘南モノレールに乗り換えて江ノ島まで
そこまでは一人でも来てるけど
七里ガ浜まではまだ一人で行った事が無い
確か江ノ電に乗ったよなぁー?
暫く行くと江ノ電の駅らしきものにぶつかる
七里ガ浜まで210円
切符を買ったけどホームどっち?
兎に角止まってる電車の側まで行って
車掌さんに「これ七里ガ浜行きます?」
って聞く、車掌さんだから間違い無いしね
2両目に乗り込んだけど
どの車両も満席
単線で市街道路を走る市電?
ゆっくりのんびりゴットンゴットン走る
田舎のバスはおんぼろ車〜♪
って歌を思出だした
狭い路地のようなところに入りこんで
腰越駅を過ぎたら
急に眼前に海が開けたぁー
水平線が綺麗!
鎌倉までこの海岸線をずっと走るのかな?
終点まで乗りたいけど
切符は3つ目の駅の七里ガ浜
ホームに降りると若い小柄なお嬢さんが
手で切符を受け取って呉れる
まだあどけなさの残る改札係り
にこっと笑って切符を渡した
ありがとうございました
ちょっぴり照れた声が返って来た

前回一人で来た時も太陽に見放されたけど
今日は絶対さぁー
って意気込んで出かけたけど
モノレールが江ノ島に近づくにつれて
むくむくと厚い雲が出始め
江ノ電に乗って七里ガ浜に着く頃には
青空は殆ど消えてた
休日には駐車場は一杯で
サーファーで溢れているのに
駐車場には車もまばら
サーファーは僅かに4,5名が
凪いで波が来ないのかぷかぷか板の上で浮いてる
浜辺にあるファーストキッチンは
日曜日などは列をなして並んでいるのに
中を覗くと閑散として
3,4名の客がちらほら程度
海辺の見える窓際に陣取り
コーヒーを頼み
ゆったりとした気分で水平線を眺めながら
瞑想に耽る
私はまだ20代
間もなく誰かが私の肩を後ろからポンと叩く
ゴメン!待った?って
真っ白い歯を見せて笑う彼
あったよなぁー、あったよなぁー
そんなシーンが何度も・・昔?ん?大昔?
本牧の浜辺で石を投げて3段飛ばしだぁー
って威張ってた彼
波の音はあの時と少しも変わらない
あの頃は自然を見て素晴らしいと思い
花を見て美しいと思ったのに
そんな感覚を何十年も忘れていた
写真を撮るようになって
湘南の海が、美しい水平線が
自然の素晴らしさを又思い起こさせてくれた
目をつぶって波の音を聞いていると
母の胎内にいるような
穏やかな、ピュアーな心になれる
日没の写真は諦めて
鎌倉高校前、腰越、江ノ島と歩く
腰越あたりで雨がポツポツ降り始めたけど
「七里が浜の磯づたい〜♪」って
人通りが無いのをいい事に
思いっきり大きな声で歌いながら歩いた
30分近い道程なのでほんのり汗ばんだ体に
細かい雨が心地よく
磯の香りを一杯吸い込んで
帰りは片瀬江ノ島駅から小田急に乗り込んで
太陽には見放されたけど
ちょっとロマンチックな気分になって
ちょっと淋しくもあって
ばあさんの胸キュン道中は終ったのでありました
素晴らしい日没が撮れるまで
何回だって来るんだから!
I love Syounan-kaigan!

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平成18年1月元旦


湘南海岸の日の出

新しい年が明けました
新年おめでとうございます
又1年間皆さまに支えられて
HPが継続できた事を心から感謝いたします。
個人的には色々な試練が押し寄せた1年となりましたが
それをバネに又少し前進のできる年に
したいと思っています
どうぞ本年もよろしくお願いいたします

毎年の事ながら
大晦日をゆったりと迎えたいと
願いつつ
結局はバタバタをお煮しめを煮ながら
なんて越年、早い時で
横浜の港に停泊中の船が一斉に鳴らす
汽笛を聴きながら湯に浸かって
なんて越年
明けてしまえばいつもと変わりないのだけれど
大晦日にはどうしても沢山の事に
けじめをつけたくなる
気持ちを切り替えると言う意味でも
やはり大晦日は必要なのかな?
正月は日頃家事に忙しすぎる主婦が
ゆったり料理をしないで楽しむためにある
と聴くけれど、どうして、どうして
正月に楽をするために暮にお節をせっせと作り
正月になればなるで
朝は雑煮を作り
朝、昼は作ったお節で間に合わすとも
夕食は普段と変わりなく
調理もしなければならないし
ん?楽させて貰ってるかなぁー?
えっ?今日は一日寝てるぞー
って宣言してベットから離れなければいい?
うふっ!そんな事やってみたいなぁー
どうなるだろう?
朝になっても雑煮も出てこない
勿論お節も並ばない
でもなぁー!10時過ぎに届く
年賀状は見たいしねぇ
それに何よりも
まっさきにお腹すくのは私かも?
結局は食いしん坊がたたって
今年もせっせと料理を作り続ける一年
になりそう
来年は有り金はたいて
正月は温泉でゆったりと人の作った
お節食べるぞー!!!
なぁ〜んて新年早々愚痴で始まった
日誌ではありました
今年もごめんなすって!

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年12月26日


ファミリークリスマス

クリスチャンじゃないけれど
親父達は小学校から高校時代までは
聖書にご縁のある生活だったから
クリスマスは何となくそのまま通り越す
なんて事はなかったし
家族がゆっくりと夕食を共にする日でもある
長女が嫁に行ってからは
今年も又親父達と一緒に過ごせた
とほっとする時であり
何だか私の存在が
彼らに家庭を持たせる事を阻んでるのかな?
なんて反省をこめて考える日でもある
今年は家で迎えるクリスマス
どこに行っても人混みだし
クリスマスは混むから店のサービスも悪い
それに何よりも高くて美味しければいいけれど
高くてまずい!なんて事になったら
目も当てられない

2時頃に親父2と親父3が車で出かけると言う
ん?私は連れて行って呉れないの?
って言ったら
すぐに支度できるなら乗せて行ってあげるよ
って返事
何も予測してなかったのだもの
急に出かけるたって無理に決まってるさ
今夜の献立ね。ママはなぁ〜んも考えなくていいよ
私達二人が相談して買い物してきて作る
って言う
家でやるって言うから
頭の中で献立をあれこれ考えてたのにさ
仕方なく留守番
4時頃になって思い立って上大岡に出かけた
偶にはクリスマスプレゼントを
二人に買ってやるか!って
親父2はね、お風呂に入ると私の化液水
使いに来るからさ
下地クリームと化粧液(化粧水と乳液が一緒になってる)
をセットにして可愛く包装をして貰った
おまけに、シャンプーとトリートメントを張り込んだ
勿論これは私も使う
夜一番に使い初めをやったけれど
いつも使ってるのと仕上がりがまったく違うのに
驚いた!
やっぱり高いだけの事あるんだぁー
髪の毛しっとり、いい気分!

包装紙等のセンスがいつも素敵な
メーカーで思ったとおり可愛いラッピング
自分がこんなプレゼント貰ったら嬉しいだろうなぁ?
なんて考えながらバスの中でちらちらと見て
可愛い包装に満足感を味う
夕食は親父2作の自称フルコース
ケーキやパンを焼くことが上手な親父3の方が
料理好きになるかな?って思ったけど
どうみても家庭的には見えない親父2の方が
料理の腕をぐんぐん上げた
料理とか家の事をやってくれる旦那様が欲しい!
なんて言ってるけれど
自分がとことん好きになった人ならば
きっと良い世話女房になれそう
ところが親父2にはいつも頼られる彼氏しかつかない
ぐいぐい引っ張って行ってくれる彼が
見つかったら、あっと言う間に結婚するかもね?

見栄えは今一だけれど
味は上出来の親父2作のフルコース?を食べ終わり
最後のケーキを食べ終わったところで
可愛い包みを二つ
「はい!プレゼント!」って置いた
中身は何でもいいのですよね
プレゼントって言葉だけでも嬉しいらしい
二人のニコニコ顔を見て
今年のクリスマスも「チョーン」
拍子木が入って又来年はどんなクリスマスかな?
って来年に思いを馳せる
私の来年あるかなぁ?

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平成17年12月13日


時節は巡る

年末が来るといつもだけれど
一年を振り返って見たくなる
今年も反省、反省、又反省、深く頭をたれて?
学習しない自分を情けなく思う時期でもあるのです
一年を振り返ればやっぱり色々あったなぁー!
「馬鹿ちっちゃかぁーね」って壁の夫の写真が笑ってる
昔へまをやってはいつも言われた言葉
少しばかりの馬鹿じゃない!と言う意味
喜怒哀楽が激しくって
つい感情優先モードになってしまう私
来年は変わるぞ!(ん?ホントかな?)
でも悪い事ばかりでもなかったよなぁー?
カメラ倶楽部に入れて貰って
ちょっぴり前進モードに切り替わったしね?
良き師匠に恵まれ
チンプンカンプンだった設定に
仄かな灯りがともった
写真も楽しみと苦しみと半分半分
ん?まだ苦しみの方が多い?
素晴らしい景色をカメラに収めたつもりでも
パソコンに取り込んでみると駄目なんて事も多い
けれど始めたからには
大ベテランの後をよちよちでも
ついて行くしか無い
ひたすらまぐれを狙ってってところです

今年一年のの家族の輪は概ね良好
親父達と連れ立って出かける事も少しはある
お風呂改修工事中の風呂屋通いは結構面白かった
彼らの目下の不満は
私が、朝起きるとまずパソコンを開く!
なんてのが許せない事かな?
親父2は朝起きたては機嫌がものすごく悪い
私と同じく低血圧のせい?
「何よ!朝ごはんも食べないで座り込んで!」
って睨みを利かせて怒鳴る
良い事してる訳じゃないから可哀想に
ショボーンとなる私
休みの日は自分達だって
思いっきり朝寝坊して
昼頃起きて来る事があるくせにさ
気の弱い親は心の中でそう言い返す
ところがそんな親父2も
夜食事をしてビールが入ると
今度はやたら甘ったれになるからおかしい
ねぇー、ママぁー、
昨日のお弁当の豚のスタミナ焼き
友達が超美味しいっってさ
って私にゴマをする
肉っけのおかずが足りない時に
牛肉焼いてあげようか?
なんて言うと、親の私が言うのもおかしいけど
とってもあどけない可愛い笑顔で「うん!」
馬鹿親はころりといかれて
台所に又せっせと立つのであります

親父3の方はいつも残業、残業で
帰宅は12時を過ぎる事が多く
夕食を食べるのは週に2,3日あれば上等
こちらは味の批評は全くしない
私の食事なら毎日ソーメンでもいいよー
なんて言う
京都大好き人間で京会席が好き
年に何回か京都参りをして
あそこの豆腐が美味しかった、湯葉が美味しかった!
ってまるで年寄りさぁねぇ
茶道、紅茶に中国茶習って着物の着付けも
何とかさまになるようになった
日本風なものが好きな割りには男っぽいのが玉に瑕
我が家の稼ぎ頭である
親父2がSEをやっていた頃は
いつも食事を奢ってくれるのは親父2と
相場が決まっていたのに
転職をしてから収入減で親父3に王座を奪われたらしい
彼らの収入が幾らなのか知らないが
二人の話から逆転したらしい事がわかる
このままでは終らないと自身でも思っているらしい
親父2だけれど、二人の仲はしごく円満
まぁー抜きつ抜かれつ
二人のバトルを高みの見物と行きますか?
私はどうひっくり返っても
勝負できないものなぁ
でもさ、辛うじてまだ生活の実権は
我にありで、踏ん張っているのではありまする
こけるのも時間の問題か?
素直で可愛い年寄りにならないと知らないよ!
って言うのが親父達の口癖
ふ〜んだ!こんな可愛い親他にいるもんか?!

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平成17年11月24日


こぼればなし

(2)風呂場改修(指輪)

お風呂工事が始まって3日目の9日の事
玄関先の書棚の上に水垢にまみれた指輪をみつけた
良く見ると中に忘れもしない記念日の刻印
私の結婚指輪である
結婚当時は細かったので
肥り始めてから指にはまらなくなって
一度はサイズ直しをして貰ってはめていたけど
又小さくなってはずしていたら
親父2が素敵だから私に貸してって
使っていたがいつの間にか
失くしてしまったと言うのである
それが10年程も前の話

風呂場にいる職人さんのところに行って
この指輪お風呂場から?
って聞いたら
埋め込み式の風呂桶を切り取って
取水口を見たらもうほんの少しのところで
管におっこちてしまいそうなところに
辛うじてひっかかっていたので
何気なくとって、玩具の指輪かな?
って思ったけれど重さがあるのでもしかして?
って取っておいたと言う
多分親父2には少しゆるくて
風呂に浸かった時にはずれてしまって
浴槽の下に落として
そのまま浴槽の水を流す時に
外に流れていったのだろうと思う
10年の歳月を物語るように
周りには水垢が一杯ついて元の様相は無い
丁寧に水洗いして
柔らかい布で磨いてみたら元の光を
すっかり取り戻し
結婚年月日とH to K のイニシヤルが現れた
奇しくも見つかった9日は
夫の誕生日だった
二人の縁(えにし)を感じて
嬉しさに涙溢れて
職人さんに何度も何度もありがとう!
大切な品物なのですって頭を下げた
そんな大事なものだったのですか
見つけて上げられて良かった!
って彼も嬉しそう

思えば、夫が他界後、幾つかの不思議があった
他界したその日に妹が長男を産んだ
私のお産の度に手伝いに来てくれた妹を
主人はとても可愛がってくれていた
こじつけかも知れないけれど
主人と入れ替わりのように生まれた妹の長男の
小さい頃は主人の面影がある気がしてならなかったものである
その彼も20歳になってすでに大学生
もう一つの出来事は
長女が結婚し長男を産んだ時の事
入院したのが夫の誕生月の9日
初産だったのでその日には無理だろうと
思いながらも夜になっても
病院に詰めて居たら
どんどん陣痛が強くなって
結局は主人と同じ誕生日に出産
日にちにかかわる不思議は今回の指輪で
3度目と言う事になり
それだけ現世に思いを残して逝ったのだと思う
これを書いていたら、12時を回ったと言うのに
親父2が2階から降りて来て
仏壇に線香を上げている
命日やお盆にちゃんとお線香位上げなさい!
と言わないと上げないのに
「どうしたの?こんな時間に一体?」
って聞いたら
何だかお線香の匂いが嗅ぎたくってと言う
仏壇と棚に飾った父母の写真の前の
線香たてにも線香を上げて行ったので
部屋中が線香の煙につつまれて
何だか妙な気分
今夜は夫の夢でも見そう

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平成17年11月12日


< b>こぼればなし

(1)風呂場改修

7日からお風呂の改修工事が始まった
外壁塗り替えをやったときは外での仕事だったけれど
今回は家の中をいじって貰うので
ちょっぴり様子が違う
10時のお茶の時間までは少しあるなと
のんびりしていると「奥さん!」って呼ばれる
仏間とリビングの間のドアーを開けっ放しにしていると
いきなり玄関側の戸を開けて
「奥さん!」って呼ばれたら部屋を突ききって
私がリビングのパソコンにしがみ付いている様子が見えちゃった
何だか裸を見られたような感覚
開けないで外から呼んで欲しいな!って思う
くたびれてソファーに横にもなれない毎日だし
自由のありがたみが身に沁みるこの頃ではありました

5日目が終って、お風呂屋さんにも4回通った
大きな湯船で足腰伸ばせるものの
シャワーは10秒も出たら自動的に止まってしまうし
蛇口から出るお湯もしかり
温泉場のお風呂も大概はそんな風ではあるけれど
旅行中の一日位なら我慢できるけれど
毎日お風呂屋に行ってこの調子でしかお湯が出てこないと
少々いらいらする
月曜日は家から7,8分の一番近場の風呂屋へ
10時までとネット検索で調べてあった
時間は9時、たどり着いたら月曜は定休日だった
仕方なくそこから尚10分程先の銭湯へ
と移動し始めて親父2曰く
「ん?昨日、明日は休業日ですって貼ってあった」
って言う。5分程歩き始めたところなので
「今日は諦めるかぁ!」って引き返す

「私シャンプードレッサーで頭洗ってくるわ!」って親父2
黙って見送って、私は今日は頭は我慢するわって思う
随分長い時間を経て
親父2が頭をタオルで拭き拭き戻って来た
「体拭いたの?」って私
ふふっ!って悪戯っぽく笑う親父2
「まさか!?洗面台の中に入ったんじゃないでしょうね?」
「ん?(~ヘ~;)ウーン、でも背中は洗えなかった」
って親父2.「なぬっ?あの中に入ったの?」
「へへへ、でもママは入っては駄目だよ」
「絶対に壊れる!」って
確かにシャンプードレッサーにかえた時
孫が生まれる前にかえときゃ良かった
ベビーバスなくても十分ここで沐浴出来たのに」
って思った。シャワーの蛇口はのびるしね
でも成人した大人が入るか?
その様子を想像したら笑いが込み上げてきて
怒る矛先をすっかり逸らされてしまった私
やんちゃな奴めっ!

その(2)につづく

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平成17年11月5日


随想2

姑を送って2年があっと言う間に過ぎた
親孝行をと張り詰めていた気が緩んだ所為か
仕事に1,2時間没頭すると事務所のソファーで
少し寝転んで休憩するようになった夫
その内ウェストが少し細くなってズボンが緩くなったよと言う
無理が効かなくなったけれど
50の手前でこんな時期が皆あるのかなぁ?
位にしか思って居なかった私
ただ後から考えたら
牛肉の大好きな人が少し嗜好が変わって
お寿司のようなさっぱりしたものを好むようになった事
そんな中で母の三回忌も5月の末に無事終えた

夫が胃の腺癌の末期だと診断され
あっと言う間に他界したのはそれから2ヵ月後
ズボンが緩くなったと言っていたのに
何故?私が変化を気づいてやれなかったかと
悔しかった
入院直後、夫を見舞ってくれた私の姉達の帰った後
いいなぁ君の姉妹は仲が良くって
と羨ましそうに言った夫
いけない!義姉に会わせてあげなければ
末期で100%望みの無い事を知らされて
動顛していた頭の中でやっと気づいた私
連絡をするとすぐに駆けつけてくれた
姉弟だもの会えば嬉しいに決まっていた

たったの2週間の入院であった
母を送るまではと生かされた命であったように・・。
結局、偉大なる彼の母に私は勝てなかった!
まるで抜け殻のような私を
日曜日になると仏壇の花を持って
義姉がたずねてくれるようになった
優しい穏やかな顔で
は〜ちゃんへの罪滅ぼしだよって
60歳前に兄と弟に先立たれ
父も母ももう無く、一人残った義姉は
とても寂しそうだった
こんな不幸があって
やっと打ち溶け合えた私と彼女
彼女にとって我が家が寛ぎの場になった頃
今度は彼女が蜘蛛膜下出血で倒れた

我が家から20分程の港南区の脳外科病院に
搬送されたと聞き飛んで行った
付き添いさんがついていたので、少しでも
彼女に優しくして貰おうと
付き添いさんのお弁当をほぼ毎日作って
彼女を見舞っては届けた
何かの時にはと確かにあの時夫に言った
その約束を果たそうと思った訳ではなかったけれど
結果的にはそうなってしまった
丁度家族が来る前の時間で
付き添いさんと二人で彼女の死に際を見取った
享年60歳、夫の兄弟、姉は皆
天寿を全うせずに早くに逝ってしまった
お盆にはみんな、みんな我が家に帰っておいで〜って
口にだしてオリンを叩きながら迎え火を炊く

誠心誠意と言う言葉が私は大好きだけれど
誠意を尽くせばいつかは解って貰える
とこれからも信じて生きて行こう
沢山の身内を送って
悲しい事に沢山であって来たけれども
悲しみから5年近くも抜けられなかったあの時の私が
今は嘘のように、沢山の素敵な仲間に囲まれて
好奇心旺盛な毎日を送っている
3年で夫の後を追わないのは鬼嫁だなんて
昔の人は言うけれど
夫の年を遥かに越えて
図々しく生き延びている
リビングの写真に向かって、ゴメンねと言う日と
こんなに元気に生きてるわよ悔しいでしょ?
なんて悪たれ口をきく日と
毎日語りかけながら今も暮らしてる私
いつかあの世とやらで会えたらゴメンねと言う事の方が
多いのは嫌だから現世で
一杯ゴメンねって言って置こうかな?

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年10月29日


随想

ある事をきっかけに頭の中から言葉が溢れなくなった
書き始めると頭からあふれ出ていた言葉が出ない!
そんな繊細な私じゃない筈なのにと思いつつ
ちょっと締め切りに追われた作家の気持ちがわかるこの頃
人生色々、人も色々、人生の幕引きの時までに
自分をわかって貰えばいいやって思う
慢吟と言う佐久間象山作の五言詩にある如く
「天公もとより我を知る、他人の知るをもとめず」の心境

姑が元気だった頃、私をとても可愛がってくれた為に
一人娘だった義姉にすさまじい焼餅を焼かれた時代があった
まだ小学校低学年だった娘が
伯母ちゃんのママを見る目冷たいねと言った
余りにも攻撃的だった為に
夫が暫く付き合わなくてもいいと言った
精神的に参ってその時は7キロも痩せたほど
夫にゴメンね、少しの間いい?
でもお義姉さんに何かあった時にはちゃんと対応するからって
疎遠になった時期があった
姑を送った直後から暫くの間、没交渉にさせて貰う事に
後にすっかり氷解できたのだけれど・・。

夫は大学時代に胃潰瘍を患い、胆嚢炎を併発して
もう命は諦めてくれといわれた事があったのだそう
その時に母がこの子が死んだら私がこの病院の鴨居に紐をかけて死ぬ
と院長に言ったのだという
病院が90%諦めてくれと言った命を義母の執念が救った
結婚を決めようとした時
自分たちが食べられなくても母親には小遣いをやる
この母が居て今自分の命があると彼は言った
マザコンなのかな?この人って
結婚を諦めようと思った
小遣いを上げると言う事が嫌だと思った訳ではない
出来たらこうしてやりたいのだけれど?
と言う言い方じゃなく断言するように言った事が悲しかった
知り合ったのが19歳、私にとっては初恋の相手
やはり断ち切り難い感情があった
良く考えたら親不孝な人よりも親孝行の人の方が
暖かい人柄なのかなぁと考えた
6年間の長い付き合いの末、結婚
22年間夫の事務所で一緒に仕事をし
夫唱婦随の幸せな結婚生活を送った
今も、この夫に出会えて、この子供達に出会えて良かったと
神仏に感謝の毎日、幸せ者の私

姑は79歳で肝臓癌を発病した
結婚20年目の冬の事だった
20年間夫との約束の姑への小遣いは
絶やす事なく届けてあげる事が出来たが
結婚して当初は私に意地のようなものもあり
絶やしてなるものか!なんて気負いもあったけれど
いつの間にかそんな感情は消え
今の夫のあるのは母のお陰、夫婦で少しでも
報いられたらと思うようになった
夫の親孝行ぶりはそれは他に類の無い程のものだったと思う
入院と同時に医者から命を限られた姑だったけれど
退院がちゃんとできると思って欲しくって
入院中もしっかりと小遣いを届け続けた
80歳の誕生日を病院で迎えて
姑は静かに息を引き取った
夫が初めて病院に泊まり、私に今日は帰れ
と言ったけれど母の様子が気にかかって
そのまま留まったので夫婦で送ってやる事ができた
いつも自分を律して厳しさの勝った義母
時には抵抗もあった私だったけれど
見習うところの多い人であった
夫は決して亭主関白ではなかったと思うけれど
母を送るまでの夫から
余り優しい言葉をきいた事がなかった
この年代の人は照れ屋さんで思っても口に出せないのが普通
以心伝心で十分夫の気持ちは伝わっていたのだけれど
葬儀が済んだ後、静かな口調で
「君が僕に親孝行をさせてくれたから、お袋に孝行が出来た
ありがとう!今後君の両親に何かがあった時には
僕が何でもするからね」と言ってくれた
嬉しかった!泪が溢れてとまらなかったのを覚えている

長くなったので次につづく

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平成17年10月15日




写真クラブ作品展

写真に興味はあったけれど
自分でいいなぁと思う写真が撮れた事がなかった
ちゃんと設定を学ばなきゃぁって
思いながら、難しそうなので尻込みする事2,3年
ある日、見学して見る?って誘って貰って
平塚のオリンパス後援のカメラ倶楽部を見学
一人3点づつの写真を提出し、ボードに一人づつ貼り付けて
プロの先生が芸術点、技術点、各5点で10点満点で
点数をつけ講評が貰える
見学だから左程緊張もせず成り行きを見守る
カメラ暦の長い方ばかりが会員らしく
そのどれもの作品が並じゃない
結構辛口の評が先生の口からポンポン飛び出す
もう花なんて卒業したらどう?
花は誰が撮ったって花そのものが美しいから
美しく撮れて当たり前だよって
花をありのままの姿で撮影しても評価して貰えないようである
例えば、人物を撮るなら、その人の人生の一端が
見えるような、そんな写真をと言う事らしい

さて?見学してありがとうございましたぁー
って帰ろうと思っていた私だったけど
雰囲気的に何だかそのまま帰りにくくなって
身の程も弁えず入会する事にした
帰り際に先生に「本当にただシャッターを切るだけで
何もわかって無いのですが
こんな私が入れて戴いていいでしょうか?
って言うと
誰でも最初があるんだよ
写真の事を余り知らないのに講釈ばかり言う人が居るけど
そうじゃなければよろしい!って
辛口の評はなさるけれど
話はウイットに富んでいて、怖い!ってイメージは無い

入会して5ヶ月、10月4日〜10日まで
会員の作品展が平塚美術館であった
立派な会場である
ここ2年ばかり師匠の作品を見に行っていたので
場所は知っていたけれど
まさか!この会場に自分の作品が?
夢にも思わなかった出品だった
大きな額3枚を注文してセットして
搬入、搬出と気分だけはいっぱしのカメラウーマン
最初から最後まで師匠の手を煩わしての参加
彼は例年よりも倍疲れたのでは?
教えても教えても飲み込みの悪い私を
出品までこぎつけ、引っ張って来てくれたのは彼のお陰
良い師匠に恵まれて幸せ者です

出品作品は原宿で4時間たちんぼうをして
汗にまみれて撮った写真の中から3枚を選んで貰った
リズムを体でつかんで勢いの出てるところを撮れよ
って言われて夢中で160枚程シャッターを切った中の3枚
大胆にアップで撮ったのが良かったのか
声が聞こえてくるようで良いと
先生からは思いもよらぬ嬉しい講評を戴いた
後が続くかどうか心配だけれど
思い切って出品した事で前に進めそう
兎に角我武者羅に枚数を撮るのが一番と聞く
来年はよろしかったら見に来て下さい
と言える作品が出せるといいな
始めたからには頑張らねば、ファイト!いっぱ〜つっ!

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平成17年9月26日


八卦ヨイヨイ

暑さ寒さも彼岸までと、昔人は良く言ったものである
彼岸を迎えた途端に朝夕の凌ぎよくなった事
秋の彼岸と言えば、私の誕生日は彼岸の真っ最中
今年も又一つ年を重ね
命に限りある事を実感する年になった

この2,3ヶ月割と大人しく家に居たのに
9月に入ってから俄かに忙しくなって
殆ど毎日外出の予定が入ってしまっていて
20日の彼岸の入りには必ず行く墓参りも儘ならず
やっと22日の自分の誕生日に時間が出来た
車を出してくれる親父2が今年は丁度沖縄旅行に出ていて
一人で行くしかないかぁーって思っていたら
嫁した長女から午前中には行けるけど?
ってメールが入った
電話をかけたら11時頃にはつくから
お墓2箇所回ってあげるよって
4,5年前までは自転車に一時間以上乗って
上大岡の先の我が家のお墓と
全く方向の違う本牧にある主人の実家のお墓を
苦も無く巡っていたのに
ちょっとしんどいなぁーって思うのは
やはり年をとった証拠かなぁ?
行って上げるよって言う、長女の言葉に
嬉しくって思わず涙が溢れて、自分でも驚いた現象

今年の年明けから良い事が余り無く
少々マイナス思考のまま半年以上を過ごしてしまって
この辺で何とか方向転換しなければと
思いつつ2ヶ月ばかりが又過ぎてしまっていた
墓参りの後、珍しく時間があると言う長女と
京急の上のパスタ屋さんでランチを共にしながら
珍しく親子の会話、舅姑の悪口は一度も聞いた事がなく
優しい家族に迎え入れて貰って
幸せな結婚生活を送っているようで
この子の家庭に関しては何も心配する事が無いのは
親として何と幸せな事だろうと改めて思う

昼食を終えて出たところに占いの館が3箇所ある
今年は何だか嫌な事ばかりあったから
みてもらおうかなぁ?
誕生日記念に見て貰えばいいじゃない
って長女も言う
ねぇー3人の内どの人がいい?
そうねぇ、一番端の人は普通のおばさんって感じ
その次の人はちょっと厳しい事を言いそうな人だけど
厳しい事を聞きたければ真ん中にすれば?
って、なぁ〜るほど、ずけずけ物を言いそうな女性
言われてみようじゃん・・・・と
こちらも少々構えて、何を言われても
へこたれないから言ってみろ!て構え
あちらも何となくそんな雰囲気を察してか
マイペースを押し通す人?って
一言めに疑問符がついたのには驚いた
色々と本をくって数字を書き込んで
名前と生年月日と睨めっこして
ふ〜ん、そうでも無いんだ、一白水星で
水のように流されて生きる人なんだ
って言う。(~ヘ~;)ウーン、それも違うなぁ
って思いながら聞いていると
本当はマイペースで生きたい人なんだよ
でもそうはいかないからそれがストレスになるんだ
一人で納得してそう決めてしまったらしい
まっいっか、当たるも八卦あたらぬも八卦さ
ここで逆らって見たって仕方ないもんね
今年の前半は真っ黒で悪いはず
でももう抜け出したね、後半は大丈夫
ただね100%の力で前にすすまずに60%位で
進む事を勧めたいねぇ
その勢いで進んで行くと来年当たり大病をするよ
2010年までは勉強の年
60%で進めば2021年に花開くよって
ξ\(^。^)/ξまだ上昇機運に乗れる?
経済は困らないから大丈夫
と言う、自身では一番の不安材料なのに
はっきりこう言われるとなんだか大丈夫のような
気になるから不思議
よ〜し!遣うぞ!
って24日は二日遅れの私の誕生日を
親父達二人で祝ってくれると言う
食事代の足しに1万円寄付しちゃう!
って押し問答の末
親父2の手の中に無理やり押し込んだ
沖縄土産に免税店でも8000円もする
19番のオーデコロン
買って来てくれちゃったしね
今後も経済は困らないって下りだけは
八卦よいよい・・南無南無・・・当たれ!
でもなぁー、収入源無いのにどこから足りない分増える?
○(^-^)o イエイ♪、宝籤当たるのか?
大きくなくていいよ、小さい当たりでいいからねっ!
八卦よい、よい、八卦ヨイヨイ!残った!残った?

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平成17年9月3日


シニアパス

市営パス全線通用のシニアパスを買った
3ヶ月で1万円、市営バス全線乗り放題である
興味はあったけれど、発売が前月の25日〜月末と
売り出し期間が短いので
ついつい面倒で買わずにいたけれど
毎月5000円のバス券を買って、
5800円分ついてくるけれど一枚では足りない
このパスを買えば月3333円
絶対にお得なのである
7月末によしっ!とカレンダーに○をつけておいて
26日に慣れない定期券売り場に出向いた
売り場は中年の女性が退屈そうに座っていた
元気よく歩み寄って
シニアパスはこちらで?って言うと
ジロっと人の顔を見て
上から下までまず全身チェックである
最後にピンク色にマニュキュアをした指を見て
なぁ〜にさぁ、いい年をしてと言いたげ
なんでこの場所でこんな目で見られなきゃならないの?
って思ったけれど
兎に角今日は絶対に3ヶ月の定期を
買うつもりで来たのである
こんな事で怯んではいられないさ
やっと職務に気づいたらしく
何か年齢を証明するものをお持ちですか?
って愛想の無い顔で聞く
申込書と保険証とスナップ写真を
証明写真の大きさに切り取ったものを同時に出した
用意は周到な筈である
保険証は文句がつけようがなく資格は有りである
一瞥して無表情で私のところに押し返し
次なる写真を見て曰く
ちゃんと証明写真を撮って
持って来て貰わないと困るんですけれどって言う
でも大きさだけしか指定されて無いでしょう?
素人写真ではいけないの?
って少しキツイ調子で言い返した
その前の態度が悪くなければ私だって
ごめんなさい、家にあったものを持ってきたのだけれど
だめかなぁ?って言った筈である
かなり強い口調に圧倒されたらしい彼女
じゃぁ今回だけ特別ですよ
次回からはちゃんと証明写真用のを持って来て下さいよ
とこれも負けずに強い口調で言って
乱暴に裏にのりをつけて
バーンを音を立てて上から写真を叩いた
小生意気な年寄りだと思ったのでしょうね
上から熱で圧力を加えてビニルを張りつけて
丈夫で立派な定期券が出来た
受け取ってしまえば又3ヶ月間は
彼女の顔を見ないで済む筈であるし
もう決してこの売り場では買わないよーって思ったけど
笑顔でありがとう!って言った
あちらは無言である

8月のカレンダーに市バスに乗った日は
乗った回数を正の字で書いて行く事にした
8月はまだ予定が一杯入っていたので
結局43回で9030円分乗った
もう一ヶ月でほぼ元を取ったようなもの
8月は体調を整える為に家に居た日が多くて
乗車回数は少なかったけれど、それでも21回で4410円
9月はまだ2回だけれど予定も幾分入れてあるし
医者通いがあるので十分一ヶ月3333は超過の筈
9月のカレンダーを捲ってなかったので
今新しくして2回分の線を描いた
目的地の手前で止まってしまうバスでも
又乗り換えればいいやって
気軽に乗れるのも利点ではある
敬老パスになれば収入も無い私などは
ただにちかい金額で貰えるのだろうけれど
この定期はまだちゃんとお金はらってるんだい!
なんて自負があり
恥ずかしいなんて気持ちは無く
堂々と運転手さんの目の前に突き出す
敬老パスになったらすみませんって顔で
余り前には突き出せないのかな?
お世話になります
って乗って来る人が多いよね
兎に角元はとっくに取れたシニアパス
次回は6ヶ月18000円って奴を買うぞ!
って意気込んでる

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平成17年8月16日


あの山越えて

お盆も終わって都会に又喧騒が戻って来た
年を取ったらどこか静かな田舎にでも引っ込んで
なんて考えた事もあったけれど
実は年をとったからこそ
交通利便がよく、近くに病院があるところに
住む事が必要なのだろう
それに都会暮らしになれた自分には
虫の音を友達になんて暮らしは
一週間もすれば孤独感にと変わり
静かなところでのんびり暮らします
なんて少しは名残惜しそうに挨拶をして
さぁー、これからは人に煩わされずに
のびのびと生きるぞ!って
意気揚々と都会を離れて来たのに
こんな筈じゃなかったって
すぐに後悔の日々が始まるのだろう

そんな事は重々わかっているのに
どこか静かなところに暫く退避したいなんて
思う事が時にはある
一週間位どこか鄙びた温泉にでも行って来るかなぁ?
って一人で行けもしないくせに
子供達の前で伸びをしながら言って見る
すかさず、どうぞ一週間も一人で居られるものなら
行ってらしゃ〜い!
なんて意地悪な答えが帰って来る
(;o;) あぅ〜、子供達に見透かされてる〜!
それでも次女が「今月の私の誕生日と
来月のママの誕生日を併せて私の運転で行ける
距離の温泉に皆で行こうか!」
って言ってくれる
別に行かなくてもそれだけ言ってくれるだけでも
親なんて馬鹿なもので
もう一緒に行った気になって
嬉しいのであります
こんな事を書くと又お節介野郎さんあたりに
もっと子離れしろ!なんて
言われてしまいそう!

8月も半ばを過ぎれば朝晩は
そろそろ秋めいて来るのでしょうが
今夜もどうやら熱帯夜
誘眠剤を今夜はいつもの半分だけ飲んだ
やっと方向転換が出来そうである
体を壊してまで悩んだ自分が滑稽に見えてきた
人が驚く程強いぎっちょに生まれ変わるかな?
長い付き合いで私の気心をしっかり知っている友人が
私の事を評して、
強そうで弱くって、弱そうで実は強いのだよねって
確かに今までの経験からも土壇場に来ると妙に度胸が据わる
兎に角口内炎を直す事に専念
健康的な文章を又書かなきゃぁー。
皆様ご心配をかけました

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平成17年7月23日


尾瀬の旅(裁ちそば屋さん)

おにぎり事件があって何となく不安な出だしになった旅
まず浅草で無事ちこタンと八重子さんに会えて
一安心ではあったけれど
まだ白兎山人さんと無事合流出きるかが
ちょっぴり不安
鬼怒川温泉駅で特急「きぬ」を乗り捨て
向かい側に止まっていた快速に飛び乗り
一駅先の鬼怒川公園駅で下車
この駅を出たところで白兎山人さんが待っていてくれる筈
電車を降りた途端に道路が目の前に開けていて
上を見上げて「やぁ!」と
白兎山人さんが笑顔で手を振ってくれて
ほっ・・・。一安心である
白兎さんの白い愛車におさまりまずは無事出発
まだ新緑に近い木々の間を走り
春蝉の声を初めてきく
都会の喧騒を離れて聞く蝉の声は
涼しげで、昔どこかできいたような懐かしささえおぼえた
途中のトイレ休憩にとまったパーキングエリアでは
どの店も珍しい山菜が山積み
アスパラが500円で山のように買える
保冷バックが無いので今買えないのがとても残念
おにぎりは無念だったけれど
この地で食べる筈になっていた名物の断ち蕎麦が楽しみ
1時間程走ったところでまず腹ごしらえをと
案内された桧枝岐名物の蕎麦屋(写真)
100%そば粉で打ったと言う蕎麦の香り一杯の蕎麦
緑一杯の自然の風景の中で
蕎麦と素朴な味の蕎麦がきを頂き皆満足顔

さて腹ごしらえも済んだし
一路、沼山峠に向けてしゅっぱ〜つ
木々の緑のトンネルを潜りぬけ
程なく峠の麓まで運んでくれるバス発着所到着
わぁー、寝雪が一杯!
でもその割には寒くは無い
バス発車まで30分はある
荷物だけをバスの座席に置いて
爽やかな空気を胸いっぱい吸い周囲を散策
雪の中から蕗のとうが一杯
と、白兎山人さんが笛を吹き始めた
人も殆ど居ないので音に合わせて歌ってしまう私
ちこタンと八重子さんは?と見れば
椅子に腰掛けて何やら楽しげに談笑中
バスの運転手さんが「お宅達の貸切りだねぇ」
なんて言ってたけれど、間際になって
5,6名のグループがやって来て
いよいよ出発である
空いているので全員が窓際に座って
周りの景色を満喫しながらの2、30分で
沼山峠の上り口に到着

木で出来た緩やかな木道をのぼる
途中雪が残っていて
踵を踏みしめて歩くんだよーって
リーダーの白兎さんに教わって
へっぴり腰で一歩一歩慎重に進む
我々は午後からのぼるのだけれど他のグループは
すでに戻ってくる時間らしくって
すれ違う度に殆どの人が丁寧に「ちわぁー」
って声をかけるのでこちらも
同じく「ちわぁー」って返す事になる
中学生らしき団体が通り過ぎる時などは大変
「ちわぁー」の大安売りである
挨拶するのが礼儀だぞ!
って先生に指導されているのかなぁ?
細い木道の両脇には珍しい高山植物が一杯
見つける度に丁寧に説明してくれる白兎さん
ふうふう言いながら1時間ちょっとのぼって下りて
パッと眼前に広がった湿原
どこまでも続く木道
水芭蕉はもう少し先にあるらしく
周りの緑の木々の他に
木道の脇には意外に小さな可愛い花が・・
暫く行くと夢に見た水芭蕉の群生
その中に黄色のリュウキンカの黄色が混じって
美しい!!
でも水芭蕉は私の思っていたような
生え方をして居てくれなくって
あっち向いてホイ状態
アップで撮りたいのになかなか素直なのに
お目にかかれない
自然の群生なのだものこれだからいいのよね
空気が美味しい!間もなく広い水辺が見えて来て
何故か真ん中に印象的に2本の木
そう言えばこの場面は尾瀬の写真で見た事あったかな?
3時半頃長蔵小屋到着
ここで一休み
おにぎりは仕方なく途中のコンビニで買った
それでも美味しい空気の中で食べるのは美味しい!
何と!白兎さんが糠で煮た鰯
糠漬けの漬物などを持参してくれてた
あっぱれ!あっぱれ!


水芭蕉とキンリュウカ

出発は4時、5時過ぎの最終のバスに間に合わなければ
ぎっくり腰が完治しないまま参加した
ちこタンが少々心配
リュックを白兎さんが背負ってくれて
帰り道で見つけた白樺の枝
誰かが杖に使っていたらしい程よい長さ
それを杖代わりにして
思ったより早くバスターミナルに帰着
予定の一台前のバスに間に合った
バスを降りて、白兎さんの車に乗り継ぎ
さて次なるは南会津の民宿「南岳荘」へ向かう
女将さんの山菜料理が絶品だと聞く
楽しみ!

思ったよりも近くに宿はあって
一時間程で到着
宿は文部省認定の文化財になっていて
昔の土蔵を民宿にしていて
中には囲炉裏が切ってあって
鉄瓶のお湯がチンチン沸いていた
土蔵作りの階段をギーギーと音を立て上る
8畳の和室が二部屋
7時には夕食なので急いで順番に
お風呂に入る
白兎さんは20年来のお馴染みさんでねぇ
と女将さんが目を細めて話す
出来立ての暖かい料理が次々を並ぶ
どれも素材を生かした調理法で
女将さんの暖かな心が伝わって来る味
もうっ!幸せ!
おまけに白兎さん、愛蔵のカリフォルニアワイン
のカベルネ・ソービニィオンの差し入れ
私はワインは沢山は飲めないのが残念だけれど
少量を味わいながら頂く、うま〜い!

食後は2階の部屋の襖を開けて
広々と一部屋にして持ち込んだウイスキー
一本が又空きましたぁー
私が主人の惚気を言ってね
負けずに白兎さんも愛妻マーちゃんを惚気て
12時頃お開き
修学旅行気分で3人枕を並べて
おやすみなさ〜い!

朝食は又豪華でね。8品位ついたでしょうか?
朝から新鮮な蓬を練って蓬もちも
どっさりこしらえてくれて
中のあんこも勿論手作りですぅ
残りはお土産ねって全部頂いて荷物の中へ
何しろ蓬の色も香りも濃厚で絶品!
写真撮っておけばよかった!

梅雨真っ只中なのに殆ど雨にもあわず
翌日も曇天ながら雨はなし
会津の酒蔵を見学して
白虎隊自刃の場飯盛山にも登った
ここではサザエ堂と言う
ぐるぐる巡って上りながら又下りて来る
と言う珍しい古い建物があり
私とちこタンは前日の歩きで足が痛くて
外からの見学だったけれど八重子さんが中へ
入ったと思ったらあっと言う間に
戻って来てびっくり
一本道で後ろから押されるから
トコロテンのように出てしまうしか無いらしい
次は塔のへつりへ向かう
吊橋を渡って、岩が侵食して?で来た道を
へっぴり腰でこわごわ歩く
八重子さんはなかなかの探検家
女性が怖がって行かない一番奥の岩場まで行って
笑顔で手を振ってる!度胸あるなぁー!
まだまだこれで終わりではない
白兎さんは車をびゅんびゅん飛ばして
走る!走る!どの位走っただろうか?
右手に猪苗代湖が見えて
歓声を上げる、大きな湖なんだぁー
湖が見え隠れしながらまだ暫く走って
湖畔のみやげ物やが並んだ駐車場に車をとめ
野口英世の生家が保存されている
野口英世記念館に入館
母しかが英世に早く帰って欲しいと
たどたどしい文章で綴った原文の手紙を読む
200年前の姿を残した生家の柱には
志はたさざれば再びこの地を踏まずと刻まれていた
才能は勿論、根性の人だったのですねぇ

白兎さんのお陰で
本当に盛りだくさんの観光をさせて貰い
私にとってはどこも初めての地
子供を育て上げるまでは本当に旅なんて
殆どした事のなかった私
こんなお仲間が増えて、誘って頂けて
幸せ者の私です
帰りは那須で高速を下りて
美味しい炭焼きのピザ屋さんに
案内して頂けたのだけれど
生憎と改装中で休み
そのまま大宮駅まで送って頂いて
車をわざわざ停めて
駅の構内まで見送って下さった白兎さん
本当にありがとう!
この旅は相当心身が弱って居た時に当たってしまい
本来の明るさが足りない私で
白兎さん始め同行のちこタンと八重子さんにも
ご迷惑をかけた事と思います
尾瀬には、心平らかな時にもう一度行けたらなぁ?
って思うし、あの宿にももう一度行ってみたい
もう一ヶ月以上経ってしまってからの
続編で興ざめでしょうが
読んで下さった方々、ありがとうございました
最近文章がすらすら出てこなくなって
旅の様子がうまく表現できなくってごめんなさい

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年6月28日


尾瀬の旅

夜2時半に寝て4時起床の16日朝
携帯の目覚ましをかけて
1時間半の浅い眠りのまま4時に飛び起きる
沼山峠を歩いて越えて尾瀬に到着後
小休止して食べるお握りが事の外美味しいとの事で
私が作って行く事になっていた
予約炊飯で下に降りたらご飯が炊き上がっていて
一切れ500円と少々高かったけれど
上等の北海道の銀鮭をふた切れ張り込んだ
一個のお握りに半身をいれて
銀鮭のお握りを4個と
後4個は梅干をつぶして、鰹節、酒、ゴマを練った具
計8個のお握りを作った
美味しい沢庵があったので8切れづつ
ふた包みをつくりホイルに入れて
お握り8個もそれぞれホイルに一個づつつつみ
手提げ袋に入れて、
海苔を6枚とひこ鰯の佃煮を煮たのと、金平ごぼう
茹で玉子はリュックと旅行かばんに入れて
準備完了である

浅草8時発の特急きぬに乗るので
東武線の浅草駅でちこタンと
ちこタンの旅仲間、八重子さんと待ち合わせ
5時40分に家を出た
バスはまだないのでタクシーを拾って
上大岡まで出て京急で一本で浅草まで行く事に
財布を覗いたら1万円札しかない
急いで近くのセブンイレブンに飛び込み
飴を二袋買って、お握りの袋に放り込んだ
予定の一台前の電車にのれて
7時には浅草駅に到着
東武浅草駅まで歩く事7,8分
余裕を見て家を出てよかった

荷物は旅行用のひっぱるバック一つと
おにぎりとたくわん、飴の入った紙袋一つ
少し早く着きすぎたので
ぼんやりと人の出入りを眺めていたら
自動切符販売機の操作が判らないから教えて!
とお年寄りに声をかけられて
荷物の取手から手を離して機械の操作をしてあげる
終わってふと手元を見たら
旅行かばんの上に置いた紙包みが無い!
嘘でしょう?誰が?
ほんの1分ばかりの出来事
まさか、お握りの入った紙袋
持って行く人がいるなんて思いもしなかった
嗚呼!朝の4時起きは一体何だったの?
銀鮭を半身も一個に張り込んだ特製お握り
それにセブンイレブンで買った二袋の飴が消えた
二日前に手作りの方が美味しいから、作って来て!って
白兎山人さんにメールで頼まれて
二つ返事で引き受けて
尾瀬でほうばるお握りは
又格別美味しいだろうなぁと
作った本人も楽しみにしていたのに
出発前からこんな事でもう悔しくって、悔しくって
地団駄踏みたいほど
電車に乗ってからも悔しい!を連発
ちこタンと八重子さんに
もう、諦めなさい!
誰かが有り難く食べるんだからって
でもさぁー、8個もの大きなお握りを
取った相手は一人で食べきれるのかなぁー
食後の飴までついてさぁー
やっぱり悔しいよー
海外じゃあるまいしねぇ

ちこタンのお友達の八重子さんは
私よりも一回り以上も若い方だけれど
すぐに打ち解けて車中は女3人姦しくである
鬼怒川温泉で降りて
向かい側のホームの電車に乗り換え
一駅のって白兎山人さんが待っていてくれる
鬼怒川公園駅で下車
降りたらすぐ前の道路で
白兎山人さんが、やぁ!と出迎えてくれた
女三人と黒一点の白兎山人さん、4人の旅の始まり
前途多難の旅になりそう?

・・・・・to be continued・・・・・

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年6月15日


方向転換

この何ヶ月か色々な事が押し寄せて
日誌も思うように弾んでかけなくなってしまって
パンチが無いと心配してくださっている方もあって
しっかりしろ!と発破をかけている毎日
何事にも猪突猛進のタイプ
走り出したら一生懸命で止らない
いつもお相手の事を考えて
行動しているつもりなのだけれど
ある時、そんな事が人に重荷を背負わせる時もあるんだ
って、馬鹿な私はやっと気づく
馬鹿はしななきゃぁ直らないかねぇ?

昨日、今日と又人との付き合い方の難しさ
を思い知った
自分を判って貰えないもどかしさが
じれったくて、でもそれぞれ違う方向から
物を見るのだから仕方ないよな
と思いながら
自分のこれからの行動への警鐘と受け止め
もう、この年になったのだから無理に人に合わせて
生きる事もないかって思う事にした
明日から尾瀬への旅
気分一新して思いっきり楽しんで来よう!
帰ってからゆっくり考えても遅くは無い
他の道を進めばまだ新しい自分に出会えるかも知れない

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年6月4日


驚いたぁー

7時過ぎにプロバイダーからメール着信
又、光に変えませんか?って宣伝だろうなぁって
なぁ〜んとなく文字を目で追ってたら
ん?えっ?あん?
あなたのカード決済が出来ません?
15日までにしかるべき手続きがなされない場合
6月一杯で接続を停止します
又停止しても尚、手続きが完了しない場合
契約は解除いたします
はぁ〜ん?何よ?これぇー
いわゆる成りすましメールって奴?
カード番号確認なんて言って人を騙す気か?
兎に角、プロバイダーが同じのパソコン仲間に電話
そんなの来てないよ。ちょっと怪しいね
プロバイダーの正しい電話教えて上げるから電話入れてみたら?

夜間休日用の電話番号を教えて貰って
兎に角聞いてみる事に
アドレス、住所、氏名を聞かれて
そうですねぇ。料金の決済が拒否されたみたいです
えっ?一体何故?つい一週間程前に
カード使ったけれど普通に使えましたよって
憤然と言い返した
一週間前眼鏡を修理に持って行って
最近パソコンの文字見にくくなったよなぁー
作り直さないと駄目かもなぁー
ってその辺のを試しにかけてたら
店員さんがやって来て
あらぁー!それお客様のイメージぴったり!
なんて寄って来て何となくその気になっちゃってさ
結局新調することになっちゃった
買うつもりで来なかったし
お財布に現金持ってはいたけれど
帰りにおろすの面倒くさいしなぁーって
基本的には買い物には使わない事にしていたけど
カードで払った
プロバイダーは4月の決済が出来ないって言う
でも私が眼鏡を作ったのは5月末
ちゃぁ〜んとカードは照会されてOKだから
何も言われずに領収書が出たに決まってるよねぇ
だからこっちは強気!
決済できないなんて変ですよー
でもねぇ。実際に決済出来なかったのですから
カード会社に問い合わせして下さいよ
って、この人とこれ以上はなしても無駄かな?
仕方なく電話を切って
早くちゃんとした原因を知らなければって焦った

カード会社の請求書を見て
電話番号をしらべ休日なので盗難処理の番号に
一体何があったんだろう?
ちょっぴり怖くなって動悸が治まらない
ここではカード番号、住所、名前、電話番号を
言わされて、暫く聴きたくもないオルゴールを聴かされて
あっ!判りました!
4月にカードが新しくなりましたでしょ
さっき番号を読み上げてくれた奴です
今までは、使用期限の更新だけで番号は同じで
いつもお送りしてたのですが
今回はカード会社同士が提携しましてね
それで登録番号が全く新しくなったのですよ
それで拒否されたのですね、きっと
って済ました顔で言う
それは無いでしょう?そちらの勝手で
提携しておいて、こんな事態が起きても
そちらで処理してくれないなんて!
ハイ、ご尤もなのですが、カード決済の契約は
個人様のものですのでこちらから
変更手続きは出来ないのです
それならねぇ。新しいカード送って来た時に
目立つ大きな文字で重要!
とでも書いて、他社と提携の為
カード番号を一新しました
各種契約の変更手続きが必要になるかも
てちゃんと書きなさいよ!
もう腹が立ったぁー
相手は五月蝿いばばぁーだっ!
ってところだろうけれどさ
決済できなかったって事はブラックリストに
載ったって事?失礼しちゃうよなぁー。
みなさんは大丈夫?

それにしてもいくらネット時代とは言え
プロバイダーの血の通わない処理の仕方にも
物申したいなぁー
8年も滞りなく利用している言わば顧客
例えばカードが拒否された時点ですぐに連絡を
くれて、何か変更がありましたか?
って訊ねてくれるだけの時間の余裕は無いのだろうか?
いきなり、取引中止の木で鼻をくくったようなメールが来て
悪意で持って払わないものと決めてかかる
今回は引き落とせなかったので
現金送金していただいて、その間に原因を
調べて処理して頂けますか?
位のメールを寄越しても良いではないか
カード会社もさることながら
プロバイダーの処理の仕方にも不満一杯
HP領域を増やそうとしてこの間から
電話を何度入れても通じないし
そうかと行ってプロバイダー変えるのも面倒
結局現状維持で我慢するしかない?

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年5月21日


初夏の憂鬱

春先の憂鬱ってあるみたいだけれど
春はとっくに通り越したのに原因不明の憂鬱
これって白兎山人さんの言うように小さな事気になりすぎると
ご褒美にくっついてくるよーって言う
ノイローゼ予備軍かなぁー?
よしっ!真っ赤なマニュキュアでも塗って
ちょっぴりお洒落して買い物にでも出かけてみるか!
今日は久しぶりでフリーディー
忙しすぎて、偶に予定がないと不安なんだろうって?
かもね?かもね?そ〜うかもね〜♪
何しろ貧乏性と言うか、貧乏人だもんなぁー
デジカメもっと上手になりたいけど
マニュアルと首っ引きしたって
すぐに羽根が生えて言葉も操作も飛んでっちまう
何しろそっちの方の逃げ足の速くなった事と言ったら

家に居ると、道路の真向かいに家が一軒
建築中でね。親方だか何だかしらないけれどさぁー
住宅地の真ん中なんだから
も少し小さな声でしゃべりなよーって思う程大声で
下っ端の職人さんを叱ってるのさ
あんなにぼろ糞に言われても切れない
若者もいるんだって知ったなぁ
外に出てその子の顔見ると
まぁー!お茶でも飲みなって言って上げたくなる
今日は家の外側に張るボードを
電気のこでキーンって切っててね
終わったと思ったら今度は壁に穴あけるらしく
もっと凄い金属音が耳を劈いてさぁー
一体、こんな日が何日続くんだよーっ!だっ
娘を車庫まで送って出れば
シャッターの開く音で一斉に注目さぁー
やだ!やだ!プライバシーの侵害だ!
そう言えば我が家が越して来た時にね
裏の家の人にとっても意地悪されたの思い出した
お宅が建って我が家が暗くなったし
騒音と埃で大迷惑したって
よろしくって挨拶に行った時目をとんがらして
言われて、ご迷惑かけましたと
謝りはしたけど、何て意地悪な人なんだろう?
って思ったけど
今ちょっぴりその人の言いたかった気持ち
判るよかなぁー
でも建て主が実際に入居して
挨拶に来たとして顔見たら言えないし
過ぎた騒音は、私は忘れちまうと思うけれどね?

人の悪口なんて滅多に言わない親父2曰く
この間建て主が家族で見に来てたけど
目を合わせても「ご迷惑かけてます」って
言葉もないんだよー。もう結構な年の人なのにさぁ
なんて言ってた、ふふっ!
毎日家にいる訳じゃないのに、この騒音には
相当頭に来ているらしいねぇ
我が家は財力が無くって、もう建て替えないから
そんな事言ってるけどさぁ
万一宝くじでも当って建て替えるなんて事に
なったら人事ではないぞ!(~ヘ~;)ウーン

そう言えば、つい先日の事
お向かいの奥様がピンポーンって
は〜い!って出て行ったら
今度子犬を飼う事になったのだけれど
まだ赤ちゃんで、夜になるとく〜んってなくの
ご近所にご迷惑かけるからこれって
いちごのパックを頂いて、目を白黒しちゃった
そんなぁー。道路隔ててるし
全く聞こえないよーって言ったけれど
結局いちごは頂いちまいましたぁ
こんな丁寧な方もあって
私にそこまで出来るかなぁー?って感心しちゃったけど

もう一つ、町内会は助け合い
一旦緩急あらば力を合わせてなんて事もあるのに
中には町内会に加入したくない
当番とか常任委員とか
色々回って来て面倒だからって言う人がいる
でもねぇ、町内会費を払って
それで街灯を灯したり皆の安全を確保してる
その恩恵だけは受けるけど
面倒くさい事は嫌なんて、ちょっと身勝手だよねぇ
我々の年代の人にして
そんな考え方の人がいるんだから
人間取った年だけ練れて来るって訳でもないみたい
人の振りみて我が振り直さなくてはですぅ

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年5月6日


家族旅行

10年以上ぶりかなぁ?家族旅行なんて
もう無いかなぁって思ってた
スパがあるからさぁ、水着持ってくよ
って親父2、行き先は熱海
23日に今年初の花火が熱海海岸である
部屋に居ながらにして見られるよーって得意顔
花火を見られる事よりも
何よりも、家族旅行が出きる事が嬉しい私
計画実行役は親父2だから
私は黙ってついていけばいい
色々とネットで検索をして資料も集めているらしい
ねぇー!勿体無いから新幹線じゃなくていいよ
って言ったら、最初から新幹線に乗る積もりないヨー
大船に出て東海道線で行ったって
たいして時間かわんないもん
って、ふ〜ん、何も口出し無用かぁ
10時過ぎに家を出発、磯子から大船に出て
アクティーで熱海まで1時間ちょっと
12時には熱海駅着

観光案内所で七湯めぐりのパンフ貰ってくるから
駅前の足湯に入ってていいよ
って、親父2が言って構内に戻って行った
そこで、駅の前にある足湯に親父3と二人で足をつける
何度か来た事あるのに気づかなかったなぁ
駅前に足湯できる場所があるなんて
親父3と隣り合わせて座って足湯に浸かる
そんな些細な事でふつふつと幸せ感がわい来る
家族っていいなぁーって実感出来る時
親父3の方はきっと何も感じてないよなぁ
5分程して親父2が戻って来た
七湯めぐりのスタンプラリーさぁー
期間終わっちゃったってさぁ
って言いながら今度は私を挟んで
親父2も足湯に
ふふっ!馬鹿親は又もや幸せ感倍増です

スタンプラリー期間は終わってたけど
巡ってみようよ!って意見一致
目的地の地図を持ってる親父2は最後尾
トップはまるで目的地を知ってるように私
駄目だよ、あの人をトップにさせちゃぁ
妙に張り切ってるからさぁーって親父2が3に言う
すぐに言い返したに決まってる
じゃぁねぇー。のろのろで手を引いてやらないと
歩けない親の方がいいのかさぁー
こんな元気印なのを有りがたいと思え!ってんだ!
かくして、先頭は親父3になり
2番手にされてしまったさぁー
迷って引き返したりした箇所もあったけど
七つの源泉を無事巡りおえて
さてと1時半を回ってしまってたので腹ごしらえ
昼食の予定は親父2の案内で秘園っという
焼肉屋に行く予定になっていた、
熱海銀座からほど近い
20名も入れば満員の店
昼はオーナーと妹さんの二人でやっていて
肉を厳選しているとかで
カルビもロースも上を取る必要が無いとの事
なぁ〜る程の美味しさ
味噌味のレバーもとても美味
軽く食べるつもりだったけれども
結局お腹一杯食べてしまったぁー

さてと、2時からチェックインOKだから
お腹も一杯になった事だし
宿にむけてレッツゴーである
到着後のフロントでの手続きも
全部親父2がやってくれるので
ラクチンなのであります
案内された部屋は最上階で
仲居さん曰く花火見物に最高のお部屋
なぁ〜るほど海岸まで障害物は無い
つてを頼って予約してもらった親父2のお手柄である
仲居さんの入れてくれたお茶を一服頂いて
まずは食後に飲むお酒とおつまみの
買出しに行こうよ!ってことになり
3人打ち揃って出かける
海風に吹かれながらしばし散策の時
海岸べりは8時20分からの花火にもう敷物を敷いて
場所取りしている人達が居た
部屋から高見の見物ができるからだけど
人混みに揉まれながら見る花火なら
ノーサンキューの私である
海辺をしばし満喫して
近くのコンビニでビールとサワー
ちょっとしたおつまみを買い込んだ
コンビニの紙袋も買って
宿のフロントであからさまにビール缶が
見られないようにとぬかりなくである

冷蔵庫に飲み物をしまって
まず屋上にある露天風呂に行ってみる
スリッパが一つも無い
貸切だぁ〜って騒ぐ親父達
湯船に飛び込んでおよぎまくる親父2
なに馬鹿やってんの
とたしなめるのは末っ子の親父3
一緒になってはしゃいで泳ぐのは親の私である
温泉を舐めてみたら「しょっぱ〜い!」
塩水の温泉なんだぁー
散々遊んで湯疲れしてあ〜しんど!
6時じゃまだお腹空いてないけど
夕食がボチボチ運ばれてきて
仲居さんが時間を見計らっては
次々と料理を運び込んで来る
さざえ?食べられないよー
て親父達の二つ共が私のところに来てしまった
私だって、みは好きだけどハラワタたべられないんだい!
でもさぁ、子供の前でそれ言いたくなくて
通の振りしてはらわた3つ飲み込んだ
ほたるいかだけは駄目!
三人とも手をつけないで返却
料理は純和風だったからどうにか食べたものの
2時半に昼食の焼肉食べたんだもの
3人とももう満腹
花火の始まる8時20分までに
あと30分位あったので今度は一階の大浴場へ
ここは人が入っていて泳げなかったぁー
ゆっくり温まって
さて!花火の本番に備えてベランダを開ける

花火は真正面の突堤の上から上がるらしい
今時は人が火をつけるのではなく
コンピュータ制御だってね
海岸で喋るマイクの声がいよいよ開始です
途端に大きな七色の輪が二つ重なって
目の前で広がってまるで頭の上に火の粉がふってくるよう
花が開いた後にドカーンとお腹に響く炸裂音
こうやって目の前で花火を見たのは
一体何年前だろう?
人混みが嫌いな私は子供達が小学校低学年の時
一度だけ山下公園の花火を見に行った事があった
車で行っても無理なので帰りは地下鉄に
乗るのだけれど暫く待たないと
乗れなくって、もう二度と来ない!
と思って以来、何十年も花火は我が家の2階から
遠くに上がる打ち上げ花火を見るだけ
まるで私達の為だけに打ち上げられているような
距離で大輪の花がふって来るのを見て
3人で歓声のあげっぱなし
流れて来る煙にむせながらも最後の
1キロの長さまで広がるというナイアガラの
クライマックスに雄たけびを上げた3人ではありました
顔を見合わせてこれ見るだけでも来た甲斐あったねぇー
足が冷えちゃったからもう一度お風呂入るって二人
出て行こうとするから待ってよー
私1人にしないで連れてって!
又しても3度目の入浴

帰って来たら布団3つ並べて敷いてあった
私を真ん中にはさんで右は親父2で左が親父3
私は布団にねっころがり
親父達はビールの缶を開けて
買って来たポッキーやジャガリコをあけて
これから飲み会に突入らしい
親父2が小さなウイスキーのビンを持参していたので
私は水割りを作って貰って、2杯程飲んだら
眠くなってしまって半分ゆめうつつで二人の会話を
聞きながら枕を3つ並べて寝る幸福感に酔う

翌朝は9時半に宿をチェックアウト
2日目も好天である
予定通り宿の近くにあるスパに向かう
定期会員もいるみたいだけれど
観光用に作られた施設であるらしい
屋上は温泉プールで一階は温水プール
泳げるプールと流れるプールがあり
隣りにはジャグジーや打たせ湯や寝湯などがある
3階から螺旋状になって水と一緒に
滑り降りてくるすべり台があって
もの珍しげに私が眺めていたら
好奇心旺盛な親の性格を知っている親父2が
やって見たいの?って
ちょっと怖いけど私が一番にすべらなければいいや
と親父2を前に押し出して3階のすべり口に上る
監視のお兄ちゃんが出て来て
手を下ろしたら滑り降り開始である
緊張の瞬間長いトンネルの中で親父2が
どうやっているかは見えない
出口のプールに落ちて来るところだけは見える
ややしてやっとプールの中に上手に着地
次は私の番である
本当はドキドキしながら
それでも後ろに親父3が控えているので
極力平静を装って合図を待つ
監視員の手が上がった
今更逃げ出すわけにはいかない
思い切って流れに飛び込んだ
わぁー!ぐるぐる回って
体は壁に押し付けられてしまって
座ってなんていられない
頭だけ上げて寝転んじゃえ!
思ったよりもずっと長い距離を水に翻弄されながら
いきなり出口が見えた
座りなおす時間はなく寝転んだまま
思いっきり着水
不様な格好でプールの底まで沈んで
アップアップしながら水面に顔を出したら
親父2が大笑いしてた
親父3も上手に座って降りて来て
沈まずに着水したさ
どうせ私は豚みたいに重いから沈んだのさ

流れるプールに戻ったら
私位の年配の女性が
プールの階段のパイプをしっかり握り締めながら
水が流れてるから怖くって手が離せないの
って言う。11時からあちらのプールで
ビギナーズコースの講習受けるの
其れまでの時間は他のコースで使ってるから
ここに居ないといけないのだけど・・って
じゃぁ私の手におつかまりなさい
この流れるプールを一周して見ましょうよ
半分は屋根の無いところに出るから
風に吹かれて気持ち良いですよ
って手を差し出したら
両手でしっかり私の手を挟んで離さない
余程水が怖いらしい
これで講習受けられるのかな?
とにかくがちがちになってプールを一周
私も11時まではお付き合いしかねるし
同じ場所のパイプのつかまれる所まで案内して
無罪放免
子供達は?と見れば親父2が
流れるプールにうつぶせに浮かんで流されてる
何してんのよっ!って
背中をたたいたらいたずらっぽく笑って
ドザエモンごっこして浮いてるの
ふふっ!面白そう!なんて不謹慎かな?
乗りの良い馬鹿親なのである
11時半まで存分に遊んで
最後に屋上の温泉プールにつかって
スパを出たのが丁度昼頃

さて、最終はこれも予定していた
イタリアンの昼食である
石焼ドリアが食べたいという親父3の希望
昨日の焼肉屋の真裏の店で
やはりこじんまりとしてご夫婦らしき人がやってる
石焼ドリアとシーザーサラダ
スパゲッティを2種
ピザを一枚頼んで、生ビールで乾杯
親父達はすぐに飲み干して
白ワインを大きなデカンタで頼んで
飲むわ、食べるわ
私はイタリアンは余り好みではないので
控えめに食べて、最後のアイスクリームを頂く
帰りはバスもあると聞いたけど
熱海駅まで歩いて20分だというので
腹ごなしに歩いて
駅前の商店街にあるアオキ屋と言う
干物屋によって姉と長女宅に干物を発送して
思いっきり楽しんだ家族旅行も終わり
3時過ぎの東海道線で岐路に
次は又あるのかなぁ?
親父2が又夏にでも行こう!
って言ってたけど?
親が一番楽しんだ旅行だったかもなぁ?
ちょっと長すぎた日誌でした
最後まで読んでくれてありがとうでした

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年4月23日


どじ、まぬけ!

洗顔フォームと歯磨きを間違えて
口の外に泡が出てくるまで気づかなかったって
この間メロウ掲示板で告白してしまったけれどさぁ
本当に私の粗忽さと言うのは
自分でも愛想が尽きる程であります
今日は料理に小麦粉を使うのに
ケースを取り損なって床に小麦粉を撒き散らして
一手間かかって
さてお米を洗うかって
米2合をはかり内釜に入れて
いつも入れる発芽玄米を入れようと
棚から袋を取ったらジップが空いたままで
これを又全部床にばら撒いてしまった
今度は掃除機で吸いとってしまう訳にはいかなくって
丁寧に一粒づつ拾ってざるに取って
綺麗に洗った、大手間である
ほとほと自分に愛想がつきてさぁ
思いっきり自分に罵声を浴びせた
一体何度やれば気がすむの?
何でそんなに粗忽なの?
って言い終わらぬ内に
今度は冷蔵庫が
「ドアーが開いています」
物を言う、もう人を馬鹿にしてっ!
近頃は洗濯機は出来上がりを
音楽で知らせるし
電気釜もそう
電気ポットだって湧き上がると
ピーピー音がするしさぁ
ヒーターも3時間たてば
ほら!そのままにしとくと消えちゃうよ
ってピー、ピー言うし
電話は忙しくって暫く出ないでいると
「探しましたがその辺に見当たりません」
なんて見て来たような事を言う
世の中が便利になったのは喜ばしい事だけれど
何だか家にいてもいつも追っかけられてるみたいで
落ち着かないよー

外出しようとして玄関ドアーの鍵をかけて
ん?ガスの元栓消したっけ?
ってもう一度室内に逆戻りしたり
ヒーターちゃんとけしたっけ?
自転車で出かけるのに
自転車の鍵を開けて外にだすのにだけ
気持ちが集中して
ドアーの鍵締めないで出かけた前科2回
この間は朝下に下りてきたら
室内が妙に明るい
ん?昨夜雨戸閉めるの忘れてたー
昨夜は2時半まで起きてたけれど私の行動
カーテン越しに丸見えだったよー
何事もなかったから
いいようなものの
いつか大きなどじをやりそうで怖い!
子供達に「ったくっ!」
なんて偉そうに言われながら
目下ボケ進行中

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年4月17日


美容院は井戸端

月に一度は美容院に出かける
ベリーベリーショートカットにしてもう6年かな?
先生は40代半ば、東京からやって来るお客もある
髪型に注文をつけるお客は殆どいない
黙って座って、先生が気に入るように切る
長年通っているお客の話によると
偶に注文をつけてやって貰うと必ず後悔するそうである
今日も隣で待っていたお客が
ここの先生のカットは髪が伸びてきても
形が良くって、みっともなくならないのよねぇ
という、そう言われてみればかもねぇ?
私も黙って座って仕上がりを待つ
予約の効かない美容院なので
4,5時間待つのなんて当たり前

待ち時間は格好の井戸端会議場と化す
まずお宅はどちらから?
なんて会話をする
陽光台からなんですけれど、私の友人は
熊本からでもやって来ますよ
って凄い話
えっ?髪の為に?
って聞くとそうではないらしい
息子さんか誰かが横浜に居て定期的に
孫の顔を見ながら必ず美容院にやって来るって訳
これだけ繁盛していても
1人でも早く仕上げて、一日にこなす絶対量を増やす
なんて事は考えない先生ではある
客との話に興が乗れば鋏を持つ手は止ってる
自分が気に入った仕上げになるまで
丁寧に時間をかけ過ぎるところがあって
待っている身にとっては少々いらいらする事もあるけど
でも自分の順番が来ると、勝手なもので
時間をかけての作業は嬉しいと言う事になる

自分が納得の行く仕事がしたい
まさに職人の域にあり、女性ながら立派で
どれだけ待ってもここに来ようと言う客が
後を絶たないのも納得がいく
料金が高いかと言えば、良心的で安いのである
先生1人に弟子が二人の小さな美容院
染めと洗髪はお弟子さんがやるが
カットやセットは全部先生がやってくれる
大きな美容院に行くと指名をしない限り
忙しくなると途中でやる人が変わったりして
不愉快な思いをした事が何度もあったけど
ここではそんな心配は無い

飛び込みの客はゼロだという
まず飛び込みで来るとその中の井戸端会議的な
雰囲気に馴染めなくって
騒々しくって居るだけで疲れるって言う
ある程度の年になると急に雰囲気には馴染めないらしい
常連の我々は先生と客との会話を
待ちながら楽しみ
時には途中で口を挟んだり
ねぇー、どう思う?
なんて急に同意を求められる事だってある
ほら?なんだっけあの人、あ〜、名前出てこない!
なんて会話もしょっちゅうで
ふふっ!40代だって、
すでに名前が出てこない現象が起きるんだ!
って嬉しくなったりするのである
時にはねぇ、その服ちょっと変わってるねぇ
回って見せて!なんて
ファッションショーもどきの事をする時だってあり
朝から来て待ってて
お昼ごはん食べられない時は
助手の女の子がセブンイレブンへ行って
おにぎり買って来てあげましょうか?
って注文取りをして買い物にも行ってくれる

しかし、シビアーな面もあってね
4,5軒先が郵便局で
ちょっと用足し思い出したからいいかなぁ?
って言うと
その間にお客が来ちゃわない事を祈るわ!
って先生が言う
要するに席を外している間に
お客が来ても番は取っておいてくれないのである
いくらお馴染みになっても贔屓なし
これも馴れれば心地よい
いきなり入って来て、ごめんなさい
ちょっと用足しに行っていて
この人の方が先なのよ〜
なんて言われたらがっかりするものね

この間はこんな事があった
お客が着てきたカットソーを見て先生曰く
わぁー素敵だなぁ!
私が欲しいって思ってた形だわぁって
あら、そう?先生欲しい?
うん、欲しい!欲しい!
じゃぁ脱いで置いてくからさぁ
代わりの服何か頂戴よ!
かくして交渉成立
惜しげもなく客は着てきた服を脱いで
置いて帰るのである
美容院の休暇には古い常連客も一緒に
ハワイ旅行に行く事もあって
まるで身内の感覚
ご飯の炊き方垣根越〜♪
よき哉!よき哉!

★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★^-^★

平成17年3月30日


まだ梅の季節?

今年の春は来そうでなかなか来ない
一気に初夏を迎えてしまうのかも知れないね
いつもなら毎日春の嵐に
家の中が雑巾がけしてもしても駄目!
って嘆いている時期かな?
そろそろ桜の時期だと言うのに
まだ関東で梅が咲いているところがあるのです
年々四季がおかしくなりつつあるのかな?

長のご無沙汰でした
忙しすぎて頭リラックスしてないから
すらすらって言葉が出てこなくってさぁー。
私の初恋の話でもしちゃうかなぁー?
とってもとっても晩生だった私でしたねぇ
男女共学だったのに男性には見向きもせずに
女性グループ作って日誌回して楽しんでたかな?
私が始めて男性に淡い想いを抱いたのは
学校を出て就職した貿易会社の当時30歳位の上司
決してハンサムじゃないけれど
詩を書く事が大好きな人で初恋に破れ
その相手の素晴らしさを熱く語る様子が
とても純粋で素晴らしいと
思ったものでしたねぇ
就職したのは名古屋、結局1年で
関東に舞い戻る事になり
私を妹のように可愛がってくれた上司とも
お別れ、「えにし短かりし乙女よ・・・」
なんて惜別の詩を貰ったのが懐かしく思い出される
恋と言うよりも憧れと言うべきかな?
背の小さな人だったなぁ

本当の初恋はその半年後位かな?
上京してすぐにお茶ノ水にあった貿易会社に
タイピストとして再就職した私
名古屋の会社の社長の親友が御茶ノ水で
貿易会社を始めるからって是非って
紹介状を貰って面接に行き
その場で採用されちゃったのです
英文タイピストとして就職したのだけれど
設立早々の会社だから
何でもやったかな、英文タイプは勿論の事
経理までも引き受けちゃったのです
仕事一杯抱え込んで毎日が残業でした
経理は5時までの仕事が終わってからやるのですもの

一ヶ月の伝票を纏めて当月損益を出すと
月末には会計事務所の所員がやって来て目を通すのです
やって来たのは大学を出たての若い所員
最初に来た時は冬、机に座ってコートも脱がずに仕事を始めた
なんて変な奴!って思った
でも、その鉄紺のコートがとても似合ってたのです
顔にじゃなくコートにびびっと来た私でしたね
終わって帰りがけに初めて交わした言葉は
「前掛けのような変わったスカートはいてるね」って
白い歯を出して子供のように笑ったのです
色は黒く、もやしのようにひょろっとした人で
ちっともハンサムじゃないけど
真っ白な歯を見せて笑う笑顔がとても素敵だった
大体、税理士とか会計士とか言う人には
タイプがあって、一見してそれと判るのだけれど
彼にはそう言った匂いがなく
最初から10年も前の知り合いのように
乱暴な口の聞き方をした

その内に会社に来ると、宿題を私に与え
出来たら横浜にある彼の勤務する事務所まで
届けに来いと言う
月に何回か仕事が終わってから須賀線に乗って
私の当時住んでいた川崎を通り越して
横浜にある事務所に通った
帰りは必ず桜木町まで送ってくれて
一緒にめしでもどう?
って誘った。何十回誘われても断って
桜木町から即電車に乗って帰って行った私
会社の独身の同僚にも
何度もお茶や映画に誘われたけれど
一度もイエスと言った事がなかったし
男性と二人でお茶を飲んだ事もなかったので
怖い!と言うのが本音だったかな?

その後、彼の根気に負けて
恋人としてでなく友達としてならばと
妙な納得を彼に強いて
兄、妹のような付き合い6年
公言通り5年で税理士資格を獲得して
6年目に彼とゴールインしたのでありました
私は初恋、彼の方は違うのが残念
結婚後は一生懸命彼の事務所を手伝って
自分で言うのもおかしいけれど子育てをしながら
一人前半位仕事しましたかね?
家事も子育ても手抜きはしない約束だったし
我ながら良く頑張ったと思うなぁ
ふふっ!日誌の材料みつからなくってさぁ
ちょっぴり惚気させてもらっちゃったかなぁー
も一つおまけに、今でも彼が世界一

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平成17年3月8日


どじ日誌

流派は違うけれど声が出せたらとの思いで
昨年の九月から参加させて貰った吟会
説調の違いに戸惑いつつも
お人柄も良く、丁寧に教えて下さる先生に
申し訳なく半年の間お世話になった
月を重ねる程迷いが強くなり
両方の節が入り混じって
なにやら変てこりんな節になって来て
2月で思い切って退会させて貰う事に決めて
磯子まで自転車を飛ばした
稽古の終わるのを教室の前で暫く待って
先生と仲間にお世話になったお礼をいって
何だか一つ荷を降ろした感じで
戸外に飛び出した
そのまま家に帰ってしまうには
惜しい春の陽気に自転車を磯子駅の
一時預け「8時まで80円」に預けて
磯子駅からJRに飛び乗った

2,3日前に親父3とボビー・ダーリンの
自伝の音楽映画を観て感動し
折角1000円で観られるのにもっと観なくっちゃぁ
って、マジソン郡の橋を超える!
なんて広告にあった映画「君に読ませる物語」
を観ようと、目的地を桜木町に決めた
ワールドポーターズの上の映画館に行くつもりである
天気が良いので汽車道を歩いて
途中カメラを撮りながらのんびりとした道中
前もって上映時間を確かめて
なんて用意周到さはないのである
切符売り場は平日だと言うのに行列が出来ていて
兎に角並んで、題名を言って、何時から?
って聞いたら、今本編が始まって10分位過ぎてます
入れ替え制ですからもう一度前の10分を観る事はできません
って言う。「そう!じゃぁ考えるわ!」って
次ぎは3時過ぎからで終わるのは6時だと言うしね
6時に終わって磯子駅で自転車に乗るのは7時
真っ暗の中帰るの嫌だもの

時間は1時半、そう言えばお昼ご飯食べてないや!
って4階にある食堂街を一巡した挙句
和風の店で比内鳥の親子丼定食1,200円を頼む
10分もしない内に出て来た
ん?どこに比内鳥?意地汚いと思うかも知れないけど
それ程に肉片が少ないのである、
結局めっけた肉片3切れ、他皮だけが3切れ
後は玉子だけ、それもタップリと言える程の玉子じゃない
付け合せは白菜の煮物?まずい!
少し箸をつけて残す
味噌汁はまずくも美味しくもなし
あとは漬物が少々
場所代が高いから仕方無いのかもしれないけど
高級牛の丼じゃあるまいし
もう少し何とかならないものかと腹が立った
800円位のセットなら我慢だけど
結局たいして入ってないご飯だけど3分の1残した
しかも箸を置いたとたんに
お下げします!って
さっと持って行ってしまった
小さな申し訳程度のシャーベットと
小さなコップのお茶を
デザートですって持って来た
回転を早くしたいのがありありとわかって
余りいい気持ちじゃない
私だったら絶対にこんな商売しない!
二度と来たくない店である
映画を観に来たのに結局嫌な思いして
美味しくもない親子丼を食べに来たみたい
と思ったら無性に腹が立った

外に出たら2時過ぎ
兎に角早く帰ろうと汽車道を早足で歩く
JRに乗る前のバスターミナルで
磯子駅行きのバスを見つけて飛び乗った
自転車置き場は結構満員で
駅から一番遠い場所しか空いてなくて
バスを降りてから結構歩いた
さて、飛ばして帰るか!
って入れた筈の場所を探ったら鍵が無い!
ハンドバックの中を総ざらえにしたけど
やっぱり無い!
まったく、今日はついてない!
最初3個あった鍵だけれど
いつの間にか一個になってしまって
予備の鍵がなかったような気がして来た
料金所に引き返して事情を話し
もし家に予備キーが無かった場合どうなるのでしょう?
って聞いたら
こちらで鍵を壊して外して上げるって事は
出来ないのですよ
一週間はそのまま置いても大丈夫だけど
期限が過ぎると市の車が来て撤収してしまうと言う
兎に角一度家に帰るしかない
バスが来るのももどかしく
20分程かけてやっと我が家のバス停に到着
家の中に飛びこんで、あるかも知れないと
思う場所を片っ端から探したけど、無い!
ハンドバックの中身も全部ぶちまけたけどやはり無い
ひょっとしてと最後に覗いたアクセサリー入れ
あったっ!オレンジ色の頭の鍵
地獄で仏にあった思い
4時を回っていたので雨戸をしめて
又急いで家を飛び出した
暗くならない先に自転車取って来なくては
今度はしっかりと鍵を小銭入れの中に入れて
再度自転車置き場にたどり着いたのが5時
鍵に出てきてくれてありがとう!
ってお礼を言って自転車に差し込んだ
がちゃんと鍵が外れる音が妙に嬉しかった
もう一個しかない鍵である
バッテリーの鍵も兼用なので大事にしなければ
息子(娘婿)に買って貰った大事な自転車である
買ったところに鍵を持っていって
合鍵を作っておかなければね
その間自転車乗れないけれど仕方ないやね
本当にどうしてこんなにどじなんだ?
それにしても落とす筈の無い場所に入れたのに?
魔法のように消えちまった鍵
無茶していつも自転車飛ばしてるから
戒めを受けたのかなぁ?
自転車で楽してしかも交通費節約のつもりが
家と磯子間を2往復するはめに、「ったくっ!」だよね

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平成17年3月2日


明るく生きよう!

昨年の暮れに引いた風邪が治るのに2週間かかった
少しづつ体力の衰えを感じずには居られなくなった近頃である
2月に入って又風邪を引いて今日でもう2週間
まだ万全とは言えない状態で
二度目の今回は恐る恐る動き出した感じ
インフルエンザにかかったのは多分今回が始めて
周り中で風邪を引いていても
私だけは大丈夫だったのに
こんなに間隔を空けずに風邪を引くなんて
たるんでるっ!
って自分に活を入れてる毎日
熱が3日以上続いた事なんていまだ嘗てなかった
今回は1週間近くも熱が続いて
すっかり口の中が荒れて、食べ物に味がない
食いしん坊な私から
食べる楽しみ取ったら人生真っ暗だい!

美味しい空気吸えば食欲出るかな
って思って今日は近くの梅林まで写真を撮りに出かけた
余り大きな梅林では無いけれど
観光地化して居ないので人も殆ど居なくて
一人でゆっくりと梅の香をかいで歩いた
こんなゆったりとした時間が持てるようになったのも
この4,5年かな?
花の時期になると仲間と花を見て楽しみたくなるこの頃
ご夫婦らしき二人連れのそぞろ歩きを見ると
羨ましいなぁーって思う事もあるけど
まだ今のところ子供達の重荷にはなっていないと
思える自分を幸せだと思う
健康である事のありがたさをもっと感じて生きなければね
生きて子供達の成長も見たかっただろうに
無念の思いで先に逝った人の為にも
思う存分自分らしく生きて
もう少し子供達の行く末も見定めて
10年もすれば孫も成人に達して
素敵な恋人の一人も連れてやって来るかも知れない
そんな時しょぼくれた婆さんで居たくないな
私だってまだ素敵な人に胸をときめかせる時があるかも?
なんて、そんな期待持って若々しく生きるかな?
花を美しいと思える今の自分はとってもしあわせだよね

今日はなんだかチャーハンが食べたくなった
料理を作りながら鼻歌もでるようになった
いつもの量は食べられなかったけれど
チャーハンの味やっとわかった!
明日からまたもりもり食べて
折角3キロ近く減った体重元の木阿弥かな?
今日2年前にとても気に入って買ったスカート
2,3回はいただけではけなくなって
恨めしく吊るして眺めてたけど
何となくはけそうな気がしてはいてみた!
ちょっときついけれど
何とかはけたよー
これをチャンスにダイエットに励むか!
こうなれば風邪だって一大チャンス到来って思えて来たさ!
グットラック!

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平成17年2月22日


1週間ぶりの復帰

またぞろ風邪を引いた
元気印で通っている私の体
近頃一体どうなっているんかい?
6日間もベットの中
熱が5日間も取れず、食欲もなし
今日やっと平熱の5度3分を切ったので
外に体慣らしに出る事に
まずは何時もの買い物の場、上大岡へ
5分程まって調子よくバスが来たが
前の停留所から乗った学生で
ほぼ満員、中程まで入って
シルバー席前のつり革に掴まった
混んで居る時の私の定位置と言ったところかな

目の前にシルバーの女性が座っていて
私を上から下までチェックした上で
何か話したくて仕方ないらしい
案の状口を開いて
「私これでも権利あるのよ、ホラ!」
って得意そうに老人パスを見せた
「ん?」って顔したら
「でしょう?この間も乗ろうとして、呼び止められたのよ」
「娘が、そりゃぁ呼び止められるわって言うのよ」
70になったばかりだもんね
お顔つきを拝見したけれどどう見ても順当な70歳である
お若いですねぇって言わなければいけないのだろうけど
その言葉がどうしても出ない
いいんじゃないですか?
お年寄りが乗ってらしたらお元気だから
変わって差し上げれば
ってお茶を濁した
シルバーには堂と座りたいけど周囲の人は?
絶対に70超えてるなんて思わないよなぁーって思ってる?
私が乗り込んで彼女をいぶかしげに見た覚えが無い
そうかぁー
老人パスを貰うようになった時
もしもし!って運転手さんに呼び止められるのは
名誉な事なのなんだぁって知った
やっぱり誰でも若く見られたいのだよねぇ

そこで私が気管にかかった咳を一つゴホン
彼女慌ててマスクを取り出してかけ
バスの中は一番風邪を貰いやすいところなんだよ
あんた、ちゃんと咳の薬飲んでる?
さして年も違わない私に今度は「あんた」呼ばわりである
はぁ、医者の薬貰ってますから
どうやら私を相手に世間の常識とやらを教えたいらしい
爪を真っ赤に塗って一体何考えてる?
とでも思ってるのかな?
どうしても気になるらしくって目線が私の爪
日本は貧乏だから食事の時のマナーがなってないやね
「おや?」又お説教かい?
外人さんは(このあたりの喋りはお年寄りである)
よそ様に招待されてもガツガツ飲まないやね
日本人はただ酒はのまなきゃぁ損とばかり飲むのさ
ったく情けない事さぁね
絶対に反論させないぞ!って言う顔つきである
良く聞いておけ!って態度
この年になると色々なところに出るチャンスがあるのさ
領事館だって皇居にだってね
おやぁー!領事館ねぇー、皇居ねぇ
私だって見学になら行けますってばぁー
この人はきっと寂しいのだろうねぇー
大体お説教魔の人は人が余り相手にしてくれないから
その辺の他人をつかまえて説教をするって
聞いた事がある

お説教で始まった
暫くぶりの外出ではありました
気分転換に京急の婦人服売り場の春ものを
見ようと4Fに登った
一巡もしない内に背中にじわ〜っと冷や汗
だめだぁーまだ、体完全じゃない
ウインドウショッピングをやめて急いで地下へ
早々に買い物を切り上げて
帰りのバスに飛び乗った
やっぱり私ももう年かなぁー
人の事は言えない
明日はずっと以前から約束していた
千葉の友人と河津桜を見に行く
ちょっと体調に自信がないけれど
無理だったらバスの中で待っていようか?
でも写真は撮りたいなぁ

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平成17年2月14日


夕暮れの江ノ島で波を待つ青年

もう陽が沈もうとしているのに
まだ諦めずに良い波が来るのをじっと待っている青年
早くいい波が来て颯爽と立たせてあげたいな
って私もカメラを構えて
じっと待ったけれど思うような波は
来ないらしくって
じっと沖の方を眺めていたね
人生にもまさにこんな時があるよね

今この青年の気持ち
とってもわかっちゃうんだよね
ん?(?_?) エッ?エッ?
そんなセンチなぎっちょじゃないだろうって
そうなんですぅ
そんなに何日も波を待っていられないってばぁ
こちらから波になって押しかけるさぁ
元気だよ〜ん
明日はもう笑ってる
そうだ!海を見て、大声で叫んで来よう
お前の悩みなんてちっさいぞーっ!ってね
太陽を見ろ!
あんなぶ厚い雲だって突き通して
輝いてるじゃないか
明日は又高々と天まで昇る!
沈んで昇ってを、太陽だって繰り返してる
長い人生、今まで越えてきた
波を考えたら、何だって乗り越えられる
明日から前進だよー

さて、話を変えてっと
昨日バスに乗ったら、5,6人の人が
座れずに立ってた
入り口に立ち止まりたくないので
中間まで入ったら
一番前の二人がけの席で
丁度私位の年配の女性が荷物を横に置いて
二人席に斜め座りしてる
余程もう一人座れますよねって
言ってあげようかと思ったけれど
この平然と座っている人が
どんな態度を取るのかと想像したら
言うのが嫌になった
私が座りたかった訳ではないけれど・・
この人の家庭生活はきっと
味気ないのだろうなぁって思った
こう言う自分勝手な人が何と多い事だろう?

今日TVを何気なく見ていたら
電車の女性専用車について話をしている人が居た
横浜の地下鉄にも女性専用車があるけれど
女性だけ乗っていた試しが無い
何の為の女性専用車なんて作ったのだろう?
って思ったら、出勤時間帯の
痴漢防止の為にそんな車両を作ったのだそうな
外国の人がそんな事を知ったら
日本をどう思うだろう?
なんだか情けなくなって来たね
そんな理由でそんな車両を作ったなんて
夢にも思わなかった
皆さんは知ってた?知らなかったのは私だけ?

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平成17年1月31日


素敵な寒中見舞い

ふふっ!私だってまだ女の子?ですもの
お雛様みたら浮き浮きしちゃうのを知りました
この年になってこんな素敵な
寒中見舞いを頂いちゃいましたぁー
逆光で撮っちゃったかな?
折りたたんである素敵なカードを開けると
ご覧の通りの立派な7段飾りのお雛様がおわしますぅ
遠い昔、母が嫁入り道具で持って来た
お雛様が飾られると
長持ちの中の可愛い絹の布団を出して
おまま事しようとして叱られたっけ
娘達のお雛様を出さなくなって
久しくこんな華やいだ思いをした事がなかった
段々と伝統行事が失われつつある
この頃だけれど
自分の子供達が大人になった時
やっぱりこんな思いが蘇る時があるのかな?
ってちょっぴり胸が熱くなりました
よくぞ女に生まれけり
又生まれ変わっても女として生まれたい
と私は思う
子育てをしながら学んだ事一杯
子供を育ててる最中は我慢を強いられる事が多いけど
楽しかった事、嬉しかった事
その殆どが子供達に繋がる事だもの
もうすっかり成人した(し過ぎた?)子供達の
部屋に夜なんとなく
布団はいで寝てないかな?って見に行って見る
食事時口いっぱい文句を言い合った後などが多いのだけれど
すっかり大人になった筈の子供の寝顔に
幼い頃の表情がどこか残っていて
しばし寝顔に見いってしまう
この子も私に知らない苦労もしただろうに
きっと心配かけるからって
親にも言わない事もあるんだろうなぁ
って思ったら
思わず涙溢れて、布団の周りを押さえるふりをして
頬を撫ぜてやった、うう〜んと寝返りを打ちながらも
寝顔が心なしか微笑んだような気がした?
あなたたちも私がして来た苦労とは
又違う苦労これから一杯するのでしょうねぇ
でも大丈夫だよ
そんな事が皆後で力になるのが人生だからね
なんて面と向かっては照れて言えない
言葉を声にならないけれど言って、又少し切なくなった
思いがけず手にした素敵な贈り物から
こんな心遣いのできる送り主の優しさに感動して
今の幸せに感謝した私でした。
ありがとう!どんな高価な贈り物よりも嬉しかった!

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平成17年1月29日


旅をしたいね

昨年は殆ど旅行も行かなかった
小さな一泊旅行が伊豆と箱根一回づつ
5月の新緑の季節に上高地と黒部ダムに友人と2泊の旅行
年々やる事が増えて来たけど、体力は落ちる一方
そして肝心のあるべきものも心ぼそ〜くなって来たかなぁー
自然とどこかで少しづつ節約を心がけているみたい
家族旅行なんて何年行ってないだろう?
去年の暮れには行こうねと言いながら
結局皆の都合が合わなくってお流れになってしまった
一週間位旅行に行きたいなぁー
小さな日本の中ですら行った事ないところだらけ
5月に青春切符の旅しようよって
誘ってくれる仲間が居て
今からとても楽しみにしてるんだぁー
お金かけるばかりが能じゃないよねぇー

今年は1月早々から旅に出る事になった
ん?旅とは言えないなぁー
途中観光全く無しだもんなぁー
西宮に住む姉が膝の人工関節を入れる手術をすると言う
長年関西で一人暮らしをしていて
京都に年老いた叔母がいるだけで身近に身寄りは無い
足の手術だから大丈夫よねぇ?
って言ってたら、術日が近づくにつれて
先生の話からするとかなりの手術であるらしいと知り
急に心細くなったらしい
40年強病院勤めをして長女としていつも
妹弟を仕切って来た姉だけれど
こんな事になるとからきし意気地が無い
術日当日に行くからと言ってあったけれど
余り心細そうなので、一日早く行く事にした
予定の用を午前中になんとか切り上げて
午後1時半過ぎの新幹線に飛び乗った
久しぶりの新大阪である
ルンルン気分の旅行だったらどんなに良かったか
と思いながら新大阪では方向音痴の私が
無事西明石行きのJRに乗れるのかが心配で
姉から聞いた15番線を目指した
無事ホームに降りたら駅員さんのアナウンスで
16番線に西明石行き特急が参りますって
ん?西明石行きじゃん!
でも15番線で乗れって言ったよなぁー
発車間際まで迷った挙句
その電車に飛び乗った
すぐ横の人に、これ甲子園口に行きます?
って聞いたら、尼崎で普通に乗り換えれば行きますよ
との話、ほっっと胸を撫で下ろす
大阪に停まって次ぎはもう尼崎であるらしい
尼崎で降りて普通電車に乗りかえる
もう一度近くの人に「これ甲子園口とまりますか」
って聞いてみたら、停まりますよ
て返事、幾つ目ですかと続いて聞きたかったけど
言えなかった
次ぎに停まった駅名を首を伸ばして
見ていたら、その人が
次の駅ですよって教えてくれた
よほど不安な顔していたのでしょうね
私一人での外出はいつもこんな不安と一緒
無類の方向音痴である
関東だと道を聞いても手を横に振って断られる事や
無視される事も多いけれど
関西人はとても親切なんだぁーって
嬉しくなったりして

折角だから大阪を観察してかえらなければと思ったさ
新大阪に降り立ってまず感じた事は?
歩いてる人のコートのボタンが金色だぁー
女性の持っているバックが大きい
エスカレータは左をあけて乗るんだったぁー
言葉の頭にやたら「やぁー」をつける
「やぁー ほんまぁ?」
「やぁー そうですのん?」
「やぁー よう来てくれはりましたわぁ」
「やぁー うれしわぁー」
そう言えば私も接頭語?つける事多いなぁ
やっぱり関西系かも?
わぁー!とか良く言うもんねぇ
服装が関東よりもカラフルですねぇー
私なんかはモノトーンが好きだから
ちょっと違った国に来たような違和感感じちゃった
でも言葉には温かみ感じますねぇ
旦那様の事を言うにも
今日は主人が迎えに来てくれはりますねん
てな具合
聞いていてほんわか気分です
関東弁で今日は主人が迎えに来てくださるのよ
って聞くとこの人何?
って思っちゃうものね、所変わればです

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平成17年1月18日


笑う門には福来る

いつもこんな笑顔で居たいね
でも顔が引きつりそうになる時だってあるよね
買い物帰り、狭い路地を曲がろうとしたら
猛スピードで車が進入して来て
私の体の際をかすった
運転席の若者にあぶないわねぇー
って顔したら
いきなり急ブレーキをかけて、窓を開け
馬鹿やロー!このくそばばぁー!死んじまえーっ!
って怒鳴って又猛スピードで走り去った
道路の真ん中を歩いてた訳じゃない!
細い路を膨らみを持たせないで
前方不注意で猛スピードで
入って来たのはそっちの方だい!

これはもう何年か前の事である
パソコンの実践講習が終わったので
先生を囲んで飲もうと言うことになって
バイキングの店を予約した
仕切りの全く無い店で
テーブルを繋げて12,3名で
楽しくやっていた
間も無く会もお開きと言う時になって
洗面所に行こうと席を立ったら
丁度後ろをコーヒー持って
通る若者が居たらしく
手元に触れてしまってほんの少しコーヒー
が手元から溢れた
ちょっと触れた程度なので
大丈夫だろうと、そのまま行こうとしたら
「おいっ!黙って行く気かよー!」
って物凄い形相で睨むおにいちゃん
「どうしてくれるんだよー!」
自分の着ている綿のトレーナーの袖口を見せる
ほんの僅かにコーヒーが掛かってる
確かに豆粒のようではあるけれどかかった
みたいなので、あらごめんなさい!
あちらの出方が「あら?掛かっちゃった」と
でも言う言い方なら素直に
「ごめんなさいね。クリーニングして下さいね」
何がしかを包むのだけれど
通り抜ける通路で無いところを通った方にも
非があるのに凄んでみせるなんてって
「でも双方不注意よね」
って言ったら仲間もう一人が傍に来て
詰め寄って物凄い形相
こんな店先で刃物でも出されて
こんな奴のために怪我したくないと思って
財布を出したらシメタ!って顔して
人の財布を覗き込んだ
結局、2千円を引っ張り出して
クリーニングしたら取れる汚れでしょ!
って突き出したら
偉そうにふんぞり返って受け取って
してやったりと言った顔
悔しかったぁー
傍に人が一杯いる中でも
こんな事が起きる
こんな奴に味をしめさせてはいけないのは
重々判っていながら
咄嗟にそんな処置をしてしまった自分に
今も腹が立ってる

つい先日の事である
買い物を済ませ、1時間に一本しかない
バスを待っていた時の事
このバス停はビルの谷間にありビル風が凄い
風の強さで寒さも倍増
予定時刻の10分前から並んでいるので
多分座れる位置に居る筈である
と、一人だけ列をはみ出して
前から5,6番目で立っている若者がいる
とそこへ中年の女性が来て並んだ
そこが最後尾と思ったのでしょうね
良く見ればすぐにそこが最後尾で無い事は判るのに
奥さんに並ばせて置いて旦那様らしき人は
は道路側で荷物を持ったまま
列には並ばない
その人の後にも一人二人並んでしまって
まるで列は2列あるようになって
しまったので
最後尾はこの後ろですよ
ってその旦那様に声をかけたのに
知らん顔
並んでいる人も皆不満顔なのに
何も言えないでいる
結局10分も前から並んだのに
並んですぐに乗れた人が、悠然と席を確保して
私は重い荷物を持って立つ羽目になった
まぁーいいか!
損して得とれって言うもんなぁー
って自分を納得させて
満員のバスに揺られて帰宅となりました
小さな事ではあるけれど
要領の良い人が得する世の中なのかな?

先日、所属するネット倶楽部の掲示板で
横浜の地下鉄のおかしな対応が話題になった
車内のアナウンスでも
車内は全席優先席になっております
席は譲り合ってかけましょう
その上、4号車?は女性優先車なんて
おかしな事をやるようになった
提案した人の顔がみたい!
それよりも足の長いのを見せたいのか
大またを広げて3人分の席を占領している若者
電車の中でマスカラーを塗ってる女の子
地下鉄の7駅分乗ってる間
ずっと鏡見て化粧直しをしてた。
人の横に座ってずっと
髪を大きなブラシで梳いてる男の子
不潔だったらありやぁしない!
全席優先?女性専用?
そんな事考えなくっていいからさぁー
もっとクリーンな地下鉄にしておくれでないか?
なんだかこれだけ文句書いたら
まるでやり手ばばあだねぇ
今年はほんわか心の温まる出来事に
沢山接したいな
人の事ばかり言ってないで
自分にもっと厳しくだよねぇー
さっき年賀状のお年玉抽選番号の
チェックを150枚近くやった
なんと、こんな年は初めて
だけれど切手シート一枚さえ当たってない
今年もつきに見放されてるかな?

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平成17年1月7日


あけましておめでとう!

松の内も終わり、今年も今日から平常
年末年始と嘗て無い程の忙しさの中に過ぎ
一日のんびりしたという日がまだ無いのです
大掃除も買い物も例年よりは家族の応援もあったのに
去年の大風邪以来体力が低下して
私がペースダウンしているのかなぁ?

このHPも皆様に応援していただいて
2年4ヶ月の年月を刻み
3度目の新年を迎えた事になりますが
これも皆様のお陰と心よりお礼を申し上げ
本年もどうぞあいかわりませず
ぎっちょのHPをよろしくお願い申し上げます

なぁ〜んて柄にもなく
改まって挨拶しちゃいましたぁ
年々年越し行事が簡素になってきて
お正月ムードも余り盛り上がらなくなりましたね
昨日冷蔵庫の中身が底をついてので
京急の地下に買い物に出かけたら
食品売り場は暮れのまま
蒲鉾山積みでまだ一杯残ってるし
お節らしきものも並んでた
栗の水煮の瓶も寂しく並んでいてね
思わず一瓶買ってしまった
中国産が1,000円で
韓国産が1,500円だったけど
見た目はまったく変わりなし
試しに1,000円のを買って見た
サツマイモがまだ2本残っているので
もう一度栗きんとん作るかな?

私達の子供の頃は暮れになると
母に連れられて、新しい下着を買って貰い
正月に着る服も買って貰って
大晦日に寝るときは枕元にそれを畳んで
寝るのだけれど
嬉しくって眠れなかったものでした
結婚してから私も子供達に
同じ様な事をして来たつもりだけれど
子供達も大きくなって
いつの間にかそんな事も無くなりました
ご近所の子供さんにお年玉なんて
事もいつの間にか無くなり
若い方だけの住宅ではお正月に松を飾る
なんて事も余りなさそうです
無駄な事のようだけれど
新年に向けてこうやって一つ一つ
決まりをつけて行きながら新しい年への
期待感が膨らんで行くものだと私は思います
明ければ普段の月が替わるのと同じとの思い乍らも
やはり何か違った新鮮な朝を迎える
そんな気がしませんか?

元旦が明けても子供達の羽根つきの音も聞こえない
凧揚げだって殆ど見る事がなくなってしまった
子供の頃夢中でやった百人一首も
坊主捲りも、いろはカルタも
一体どこへ行ってしまったのか?
TVの出現でこう言ったものが
消えてしまったのでしょうね
ん?こんな事を言うようでは私は
既に時代に置いていかれているのかなぁ?
皆様、どんなお正月をお過ごしでした?
私は子供達とセブンブリッジをやりましたよー
ビリでしたぁー
当たるも八卦、当たらぬも八卦の
占いも見てもらってね。
手のひらを出したとたんに
占い師の人が「わぁー肝っ玉かあさんだ!」 って言った。
大金は入らないけれど食べるのだけは困らない!
ってそれだけは嘘でも信じていたいなぁ
やると決めたら誰が反対しても
やってしまうのだって
そんな事ないよねぇー、
だってこう見えても、結構慎重派だもの

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